ASANOT BLOG / アサノタカオの日誌

編集者。本、旅、考える時間。

詩と夜空にかがやくもの

 

小学校から帰ってきた幼いむすめが、しょんぼりしている。何ごとかと思って聞いてみいても、なかなか答えない。親としてはとても気になるけれど、まあ、そんな日もあるだろう。

実を言えば、ぼくもひどく落ち込んでいたのだった。

冬の星座でも見にいこうか、とむすめを誘って夜のドライブに出かけた。まっ暗な坂道を走り、島の山の頂上をめざす。車を降りると、つめたい海風がびゅうっと吹きつけてきて、やはりさむい。

展望台にあがり、瀬戸内に浮かぶ島々の影や、遠くで輝く町あかりをながめる。きれいだ。

となりの島のずっとむこう、あれは姫路かな、まさか神戸じゃないよね。貨物船やフェリーが、一隻、二隻、音もなく海上を横切っていく。

そして、みあげれば満天の星。さえざえとした月明かりが美しい、そんな夜だった。

ぼくらは星と星をむすび、星を数えた。山のてっぺんで、夜空にかがやくものとぼくらをさえぎるものは、何一つない。

ぼくとむすめ、ほとんど言葉はかわさない。

数日前、尊敬していた詩人の訃報が、島に届いたのだった。

はるか南の群島の方言を舌にのせて、歌うように書く詩人だった。いつか詩の本つくりましょうよ、と約束していた。会う時はいつも、ヨットを愛するやさしい海の男の顔をしていたけれど、かれは正真正銘の「闘う詩人」だった。

1971年10月19日の「沖縄国会」冒頭、佐藤栄作首相の所信表明演説の最中に、「沖縄返還粉砕!」を叫んで逮捕。

法廷で、八重山方言での陳述をつらぬき、「日本語を話しなさい!」と叱りつける裁判官に「通訳」を要求。

 

あめにうたれて なきぬれて

とうりんじに あまやどり

するうち そのうち におうさんが

みんたまぴからし くんじょうくれぇおおったそんが

あれはいつのことだったかと ゆあみぶし

きざるきざるの きむぐりしゃ

なんかなんかの なぐりしゃ

あっつぁ あすとぅぬや そうろんやそんが

わあや くとすんくらるむばあ という

ははのでんわも ほそぼそくもり

おやのこころ こしらず は

めぐりめぐって ちゅんじゅんながれ

ちほうのおやは このかおわすれ

このかおは しだいに おやににてくる

ねんぶつおどりの よるの とおりあめ

——真久田正「夜雨」

 

月と星の光は、メランコリーの最高の友だちだ。

すべてをあかるみにさらす太陽とちがって、暗がりのなかで膝を抱えるように、多くを語りたくない日の孤独によりそってくれる。

冷たくかじかんだむすめの手をぎゅっとつかんで、ぼくは、雨のようにふりそそぐ白い光を黙ってあびている。黒々とした茂みから飛び立った大きな鳥が、夜空をはばたいていくのを、二人きりで見つめている——。

なんだか、たまらなくさびしいこの場所で、詩を読む目と耳が、そっとひらかれていくような気がした。

 

はるかなみらいの とほうもない ゆめをみながら

かたくなに いきていくのは 

もう ちと こころぼそい

せめて このよの ひとのなごみを

やわやわとすでる かぜになりたい

——真久田正「NOTICE(ウンチケー)」より

 

books.mangroove.jp

神戸新聞を読んで 4

 

2016年6月に神戸新聞にて、週1回の紙面批評の連載(4回)を担当しました。ブログに再掲載します。第4回、最終回です。

 

誰かと一対一で対面する時に自分の顔を見ることはできない。手掛かりは目の前にいる相手の表情しかない。その顔に笑みが浮かんでいるか、悲しみや怒りが浮かんでいるかを見て、わが身のあり方を思い知る。

毎朝届く新聞の1面は、まさに「顔」である。

そこでは、ある事件や出来事をめぐるニュースが表情になる。紙面に向き合う私たちは、その表情を読みとり、喜怒哀楽の感情を抱く。そして一日のはじまりの時間に、自分がどのような顔で生きるのか、朝刊はその態度を導いてくれる。

しかし目の前にいる誰かに、本当に大切なことを避けるように人ごとのような話ばかりされては、どんな顔を向けてよいのか分からない。

私は6月14日以降の神戸新聞にそれを感じた。

舛添要一東京都知事の辞任に向けた一連の報道である。実に14日付朝刊・夕刊、15日付朝刊・夕刊、16日付朝刊1面トップで報じられているのだが、県外の一自治体の首長の動向がそれほど大切なことなのか。

地方紙に全国や海外のニュースは不要である、と主張するつもりはない。参院選に関わる国民の関心事であることも知っている。読者のニーズがあると言われればそれまでだ。

だが、マスメディアが足並みをそろえて演出する「政治的追放劇」の空気に、ニュースの発信者のみならずその受け取り手である読者も、虚しく踊らされているだけではないのか。

20日付朝刊1面は「沖縄『県民大会』米海兵隊の撤退要求 女性殺害事件6・5万人が追悼」。先月起こった元海兵隊員軍属による女性暴行殺害事件。それに抗議する、沖縄県民の怒りと基地反対の意思の高まりを伝えている。

「都知事辞任」報道の陰に隠れて、テレビなどでは沖縄という地域社会を踏みにじるこの火急の問題が十分に報じられていない印象があり、こうした記事をじっくりと読むことのできる時間は貴重だ。

同日付27面では「涙の訴え『本土も加害者』」とあり、被害者と同じうるま市にすむ大学生・玉城愛さんのスピーチが紹介されている。被害者の父親のメッセージも全文掲載。どの言葉も、本当に大切なことだけを語っている。

痛ましい言葉が、「本土」に暮らすこちら側の目を見つめ、私たち一人ひとりの態度を問う。

記事を読む私に、応答の言葉はない。今は瞑目してうつむく以外に、表情の作り方が分らない。しかし人生という時間を費やしてでも対面するに値する、忘れられない「顔」が、確かにそこにあった。

 

神戸新聞を読んで 3

 

2016年6月に神戸新聞にて、週1回の紙面批評の連載(4回)を担当しました。ブログに再掲載します。第3回です。

 

8月に開幕を迎えるリオデジャネイロ五輪。スポーツ面を中心にブラジル関連の記事が目立ってきた。

本紙がその名を冠する神戸という町は、1908年以来、日本全国から集まったブラジル移民の大半が神戸港を経由して新天地へ旅立ったこともあり、歴史的にブラジルとの関わりが深い。

先月、三宮で開催された神戸まつりでも、日本在住のブラジル人らによるリオ五輪をテーマにしたサンバチームが、にぎやかに路上を練り歩いていた。

6月9日付朝刊社会面「五輪控えたブラジル知って/神戸 写真や民話題材の絵展示」もそうした記事の一つ。この展示は、関西で暮らすブラジル人児童の教育支援などを行うNPO法人「関西ブラジル人コミュニティ」が協力している。

実は、私と神戸のつながりを最初に作ってくれたのが、そこのスタッフで日系ブラジル人2世のサッカー指導者、ネルソン松原さん(64)だった。

70年代にブラジルから札幌大学へサッカー留学をした後、札幌のクラブチームのコーチとして再来日。指導者としてキャリアを積み、川崎製鉄サッカー部ヘッドコーチを経て、ヴィッセル神戸ユースコーチ(後に監督)に就任。

神戸にやってきたのは、1995年3月。

阪神・淡路大震災で傷つき、立ち上がる街とともに、若い選手の育成につとめた。命令や強制ではなく、「自分で考える」ように導くのがネルソン流。転がるボールを追いかけて、ブラジル、札幌、神戸と旅してきたその人生をまとめた自伝「生きるためのサッカー」を2年前に刊行した。

6月2日付朝刊社会面「多文化共生 活溌に意見/差別の事例紹介 啓発徹底へ」。「ベトナムにルーツを持つ子どもの多くが日本名に改名している」とあり、暗たんとした気持ちになる。

先週、米国フロリダ州で、過激派組織「イスラム国」との関係が示唆される容疑者による銃乱射事件が起こり、世界を震撼させた。異なる存在を憎悪し排除する社会の空気が、世界中で漂っている。

本は、未知の世界への扉。

読書によって、それまで知らなかった世界、異なる社会や時代、そこに暮らす人びとの物語を知るのは楽しいことだし、人間文化の豊かさは多様性によって保証される、というのが出版人としての私の信念だ。

編集を担当した最新刊は、ブラジル移民の故・大原治雄氏が南米の大地と家族を撮影した写真集「ブラジルの光、家族の風景」。同題の展覧会が18日に伊丹市立美術館で始まった。遥かな世界の輝きを、1人でも多くの人に見てほしい。

神戸新聞を読んで 2

 

2016年6月に神戸新聞にて、週1回の紙面批評の連載(4回)を担当しました。ブログに再掲載します。第2回です。

 

昨年、縁があって香川県の仲間とともに「瀬戸内人」という出版社を設立した。瀬戸内や四国に根ざし、地域の歴史や文化、民俗に学びながら、海辺の生活者の声を伝えるカルチャー雑誌「せとうち暮らし」を発行している。

社内にはサウダージ・ブックスという出版部門もあり、こちらはブラジルやアフリカまでフィールドを広げ、文芸書や写真集を刊行している。現在、私は西宮で暮らし、関西から瀬戸内を俯瞰し、同時に世界を見ながら、書籍や雑誌の制作をしている。

先日、福崎町立柳田國男・松岡家記念館を訪れた。「遠野物語」で知られる柳田国男の生家もあり、学生時代に民俗学を学んだ私にとって特別な場所である。

館内では生前の柳田の肉声を記録した映像が上映されていた。彼が日本各地への調査の旅を振り返りつつ、自身の学問の原点として「祖谷」の地名をあげているのを聞いてうれしくなった。そこは四国のちょうどまん中、平家落人伝説で知られる徳島県の山奥の集落。写真集制作のために何度も訪れた、私にとっても忘れがたい土地である。

さて、神戸新聞のような地方紙を読む楽しみの一つに特集・連載がある。地元記者が地域のさまざまな事件や出来事について、一過性のニュースとして報じるだけでなく、現場を歩きながら粘り強く取材と検証をつづけ、その背景を明らかにする。

5月18日に完結した社会面の連載「乗っ取られた家族 瑠衣とハナ 尼崎連続変死事件の闇」。

男女8人が死亡という多数の被害者を生みだした不可解な事件の裏側にある、人間関係のひずみ。その中でごく普通の生活者が、偶然の積み重ねとささいなきっかけで、いとも簡単に凶悪な犯罪に巻き込まれ、加害者へと転じる心理を読み解く。「人間の業」に迫る、力のこもった記事だった。

5月8日から始まった「遥かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」も、読み応えのある連載。「昭和初期の金融恐慌で破綻するが、60社を越える企業を育て日本の産業近代に貢献した。…波乱の歴史と鈴木が残したものをたどり、激動する時代を生き抜くヒントを探る」。

連載を読み進めると、第1次世界大戦開戦後に社員として世界各地を旅した山地孝二が香川県出身であることを知る。そして鈴木商店の大番頭となり、その驚異的な成長を支えた金子直吉高知県出身。四国から海を渡り、神戸にやってきた先人の途方もない冒険に胸が熱くなる。

来年は神戸港開港150年。世界につながる海辺の地ならではの、知られざる物語をもっと読みたい。

神戸新聞を読んで 1

 

2016年6月に神戸新聞にて、週1回の紙面批評の連載(4回)を担当しました。ブログに再掲載します。

 

5月27日、アメリカのオバマ大統領が現職として初めて被爆地・広島を訪問し、核兵器廃絶を訴える演説を行った。その一方で同じ5月、北朝鮮では第7回朝鮮労働党大会が開かれ、金正恩党委員長は、核・ミサイル開発をあらためて強調した。

核なき世界か、核ある世界か。

戦後71年、私たちは岐路に立たされている。大きな歴史上の画期に、戦争を知らない世代の1人として、どう向きあえばいいのだろう。

毎朝、西宮のわが家に届く神戸新聞を開く。5月24日の朝刊社会面には、生後8カ月で被爆した、三木市在住の近藤紘子さんの言葉が紹介されている。「人から人へ伝えていくこと。それが核兵器廃絶につながる」。自分の身近にいる人の痛切な願いの声が、重く心に響く。

私の職業は出版業で、主に文学やアートの本の編集をしている。「人から人に伝えていくこと」は、私自身の仕事でもある。

昨年、原爆投下から70年の節目に、郷里の広島で被爆した詩人・作家原民喜の小説集「幼年画」を刊行した。

戦前の広島を思わせる瀬戸内の風土を背景に、主人公の少年の目を通して、祭りや川遊び、家族や隣人のこと、学校での出来事が語られてゆく。原爆という惨禍によって奪われることになる幼年時代の記憶を、作家は祈るようにして美しく描き出す。

核なき世界か、核ある世界か。

未来を予言することは誰にもできない。しかし、過去を忘れないようにすることはできる。

文学は、作家の類いまれな想像力によって取り返しのつかない世界を「いま、ここ」によみがえらせる。読者は、まるで作品の主人公になったような気持ちで、その世界を生き直すことができる。

5月25日朝刊社会面「初めて原爆を投下された国は? 広島の小中生 正答67%」という記事に驚く。風化する戦争の記憶。「ヘイトスピーチ法成立」という見出しも。民族・人種差別をあおる憎悪表現は、出版界でも問題視されている。

私たちの歴史意識が、今問われている。

最近、政治家などが「未来志向」という用語をよく口にする。だが過去を正視することなしに、未来に責任を持つことなどできない。「伝えていくこと」の重みを感じながら、今日もまた原稿を読み、書物を編む仕事に黙々と取り組む。