ASANOT BLOG / アサノタカオの日誌

編集者。本、旅、考える時間。

赦しのドキュメンタリー 岡村淳『ばら ばら の ゆめ』

 

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http://www.minatonohito.jp/products/137_01.html

 

 昨晩(2018年2月18日)、西荻窪のAPARECIDAでブラジルの記録映像作家、岡村淳さんのライブ上映会に参加し、ドキュメンタリー作品『ばら ばら の ゆめ』を鑑賞した。今も胸騒ぎがしている。ファースト・インプレッションを記しておきたい。

 本作の主人公は、神奈川のブラジル人学校でボランティアで音楽を教える木村浩介さん、そして歌手になりたい夢を持つ10代の在日ブラジル人姉妹。ギターを弾く木村さんが彼女らのためにオリジナルの楽曲を作る。Duas Rosas、2本のバラ。この曲がとてもいい。『ばら ばら の ゆめ』は、この3人が海辺の音楽祭の出場に向けてレッスンを行う一夏の記録だ。

 途中、木村さんがアマチュア楽家として夢を託した姉妹の家族が、ブラジルへ帰国することが判明する。そして泣き出さんばかりに動揺を隠さない木村さんのナイーブな姿を、岡村さんのカメラは静かに見守り続ける。姉妹が10代の少女らしく前向きに夢や悩みを語るかたわらで、別れの感情を無防備と言えるぐらい純粋に受け止め、苦悶する木村さんの思いの深さに胸を打たれる。

 人はこんなにも、出会いの結末を悲しむことができるのか、と。

 カメラは被写体となる人間に沈黙を強制し、戸惑う表情だけを興味本位で切り取ることもある。相手の魂を撃ち抜く武器にもなりうる。

 しかし岡村さんのドキュメンタリーでは、向けられるカメラに促されるように、主人公が本当に大切なことをさりげなく語り出すシーンがよく見られる。我が身にカメラを向けられることを想像すればすぐにわかるが、普通は怖気づいたり舞い上がったりして、人はあのようには自然体で語れない。

 だが岡村作品にあっては、傷を含めた内面の奥深くにしまい込まれた精神性が、語り手の飾らない表情と言葉を借りて陶然と語り出すことがある。薄明の室内で独白する木村さんの姿が、別の岡村作品『あもーる あもれいら 第二部』の主人公、ブラジル奥地で貧しい家庭の子供たちを支える宇田シスターが長崎での被爆体験を語り出す祈りの姿に重なった。

 問いかけ追求するドキュメンタリーではなく、相手を受け入れ赦(ゆる)すドキュメンタリーというあり方が、岡村作品を他のいかなる表現にも比べられない特別なものにしている。

 岡村さんのドキュメンタリーを衒学的に解釈するのは野暮だが、私はこの作品を観終わってサン=テグジュペリ星の王子さま』を思わないわけにはいかなかった。ふるさとの星の一本の美しいバラと別れ、星々や地球をさまよう王子さま。旅の途中で、別れることの意味を少しずつ理解していく王子さまに、賢者の狐が語りかける。

きみがバラのために費やした時間が、きみのバラをかけがえのないものにしているんだ。

 『星の王子さま』の物語の悲しい結末も含めて、王子さまのさすらいと木村さんの生き様がどうしても二重写しになってしまう。木村さんが2本のバラのために費やしたささやかな音楽の時間が、さびしさを抱える少女たちの一夏の輝きをかけがえのないものにしている。

 2度と取り戻せない一期一会のこの出会いを、忘れないでほしい。何度でも思い出してほしい。『ばら ばら の ゆめ』という作品が、そう語っているように私は思った。

 

 

 作品の詳細に関しては岡村淳さんのウェブサイトをご覧ください。

 ブラジルに渡ったドキュメンタリー屋さん
 岡村淳のオフレコ日記
 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/

 

君のものではない、世界の声に耳をすませろ 宮内勝典の文学

 

西子智さん編集のZine『ライフ 本とわたし』(2017年10月)に寄稿したエッセイを再掲載します。

 

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https://life-hontowatashi.tumblr.com/

 

 右に行くべきか、左に行くべきか。前に進むべきか、後ろに退くべきか。人生の岐路に立たされた時、自分のなかをどれだけ探しても、答えとなる「ことば」が見つからないことがある。

 暗闇のなかで金縛りにあったように、足がすくんで一歩も踏み出せず、途方にくれる時がある。灯りは、どこにあるのか。

 

 「自分探し」という用語が、かつて流行した。90年代後半、日本社会に満たされない思いを抱えた多くの若者が、「本当の自分」を求めて海外旅行に出かけた。私も、そのような若者の一人だった。

 インドや東南アジアあたりを放浪したところでリアルな何かを見つけられるはずもない、とブームに冷ややかな目をむけつつも、時代の空気を潔く振り払うこともできないでいた。いまここに安住してしまうことへのどうしようもない苛立ちや焦りに、若い私の自我(エゴ)も膨らみきっていたのである。

 1998年5月、宮内勝典の小説『ぼくは始祖鳥になりたい』が刊行された。上下2巻、全編約600ページの大長編の旅の文学である。刊行直後、不思議なタイトルに惹かれて書店で手に取り、本を買ったその日に一晩かけて読み切った。

 『ぼくは始祖鳥になりたい』を読んでいる最中、「ことば」は外からやってきた。古代の石器のような硬質で野性的な小説言語によって、自意識は切り刻まれ、最後の一片まで打ち砕かれた。そして最後のページを閉じたときには、すっかり空っぽになった私のなかを、大いなる風が吹き抜けていくのを感じた。

 「君のものではない、世界の声に耳をすませろ」。それが、あのとき宮内勝典の文学から受け取ったメッセージである。そのメッセージは、いまの私にとっても、行方を照らす灯りであり続けている。

 

 『ぼくは始祖鳥になりたい』の主人公は、アリマ・ジロー。幼い頃にスプーン曲げの超能力でもてはやされたもののその能力を失い、しかし左前頭葉から特殊な電波を出しつづける日本人の少年である。アメリカ合衆国の地球外生命体探査計画にかかわる実験への参加をきっかけに、不思議な偶然に導かれるまま、南北アメリカ大陸をさすらうジローの遍歴の物語がはじまる。

 日系アメリカ人の女性、黒人とアイルランド系白人との混血児である宇宙飛行士、先住民の老シャーマンらとの出会いを経て、ニューヨークからアリゾナの砂漠へ、さらにネイティブ・アメリカンの野営地からゲリラ闘争が行われる中米の熱帯雨林へ。スケールの大きな冒険行が続く。

 旅を終えて、北米に帰還したジローは、最後、地球外生命体との交信を夢見る老天文学者の妄想じみた願いを受け入れる。そして砂漠の電波天文台の電極を頭皮に植え付けられ、メッセージを宇宙空間に発信しようとする。巨大アンテナにつながれたジローの意識に、遍歴の途上で出会い別れた人物たちの声のみならず、地球という惑星に満ちた声という声が一挙になだれこんでくる─。

 世界は、数式に還元される単に物理的なものとしてあるのか、それとも生きる上で意味ある出来事としてあるのか。

 究極の問いのはざまで、自我になだれこむ悲痛な叫びにも似た声たちを一身に背負い、そこに「意味」をあらしめようとするジロー。主人公である彼に宿る集合意識が、ここではないどこかへ祈るように呼びかけるラストシーンは、圧巻である。

 著者の宮内勝典は、1944年ハルビン生まれ。作家としては1979年に『南風』でデビューした。60年代と80年代にニューヨークに住み、これまでアメリカ、ヨーロッパ、中東、アフリカ、南米など60か国以上を巡り歩いている。

 「世界の果ての果てまで、切っ先まで見切りたい」。小説の主人公にそう語らせる作家の思想に大いに感化されて、学生時代の私は南米の国へと旅立った。ある文化人類学の調査プロジェクトに見習いとして参加して、2000年から3年間をすごした。そしてさまざまな日系移民の古老や混血のラテンアメリカ人を訪ね、かれらの旅の物語をひたすら聞き書きするという作業に没頭した。

 自分探しはしない。自分ではない誰かから託された声を記録し伝えること。このときの旅から学んだ経験が、のちに編集という仕事を選択することにつながった。

 2017年5月、宮内勝典の待望の新作『永遠の道は曲がりくねる』が刊行された。『金色の虎』をあいだにはさんで、アリマ・ジローの物語3部作の完結編である。『永遠の道は曲がりくねる』でジロー少年は青年・有馬となり、世界放浪の果てに沖縄の精神病院で働いている。沖縄戦において多くの命が犠牲になったとある洞窟(ガマ)から、戦争の世紀と言われる20世紀以降の、目を背けたくなるような人間の残酷と悲劇をたどる新たな旅の物語が動きだす。

 余計な解説を加えることは控えよう。正真正銘の文学でしか味わうことができない、善悪を超えたリアルに直接、触れてほしい。とくに現代社会のなかで生きづらさに悩み、信じるに足る「ことば」が見つからない不安を抱くすべての人たちに読んでほしい。

 

 「君のものではない、世界の声に耳をすませろ」。かつて『ぼくは始祖鳥になりたい』という小説から受け取ったこのメッセージこそ、エゴイズムに取り憑かれた時代から脱出するための希望である、と私は信じている。自国第一主義テロリズムポスト真実の政治や排外主義的なヘイトスピーチ。自己決定、自己責任、自分らしさ。私たちの意識がますます分断され閉塞してゆく時代の空気に抗うことができるのは、「外」へ目を見開かせる文学の力しかない。

 宮内勝典の文学という灯りがなければ、私は息のつまりそうな絶望にあふれるこの世界で前を向き、生きていくことはできなかった。

 

 本=宮内勝典『ぼくは始祖鳥になりたい』『永遠の道は曲がりくねる』

 

温又柔の小説『真ん中の子どもたち』ほか

 

『たった一つの、私のものではない名前』

 

 いまから10年ほど前のことだ。あるブックフェアに出展者として参加した際、私と背中合わせのブースに座っていたのが、「葉っぱの坑夫」の大黒和恵さんだった。葉っぱの坑夫は非営利のウェブ・パブリッシャー。ウェブ上で小説、エッセイ、詩、翻訳作品を無料公開する活動をおこない、紙の本や電子書籍も発行している。

 エディターの大黒さんとは初対面だったが意気投合して、出版に関していろいろなことを教えてもらった。私が、ブラジル日系移民の世界でのフィールドワークという回り道をして、本をつくる仕事をはじめたことを話したからだろうか。「だったら、これ読んでみて」と大黒さんから手渡されたのが、『たった一つの、私のものではない名前 my dear country』と題された小さな冊子だった。

 http://happano.sub.jp/happano/zine/zine.html#zine3

 はじめて出会った書き手の名前は、温又柔。台北で生まれ、父の日本赴任に伴い幼少時から東京に住む、というプロフィールが巻末に記されていた。

 「温又柔」は中国語の発音でウェン・ヨウ・ロウと読むのだが、日本では、おんゆうじゅう、として育った。舌と耳で感じないわけにいかない響きのズレから、台湾生まれ・日本育ちという〈はざま〉を生きる存在の消息を見つめる、みずみずしい散文作品だった。彼女が自己省察の手がかりにする、パレスチナ系アメリカ人の批評家エドワード・サイードや、チカーナの詩人グロリア・アンサルドゥーアら、私自身多大な影響を受けた文学者の言葉にも目を引かれた。

 のちにこの書き手が文学賞を受賞し、小説家としてデビューしたことを知った。

 

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『真ん中の子どもたち』

 

 ここのところ続いた移動のあいだ、作家・温又柔の芥川賞候補作となった長編『真ん中の子どもたち』(集英社、2017)を読み継いできた。これから何度も読み返したい、味わい深い小説。心地よい読後感に浸っている。

 台湾人の母、日本人の父のもとに生まれ、東京で育った主人公・琴子(ミーミー)が、中国の上海に語学留学する。日本、台湾、中国のはざまで同じような境遇を生きる若者たちの人生が異郷で交差する。どの「普通」にも収まらない琴子ら「真ん中の子ども」たちは言葉に移住する。他人から矯正も否定もされない自分だけの言葉、自分たちだけの言葉へと。


 「アイノコって響き、愛の子どもみたいだなあって」

 ダジャレみたいな思いつきに、私の友だちふたりは一瞬ぽかんとしたが、ミーミーらしいよ、とすぐに玲玲が笑う。それならおれたちは愛の子やね、と言う舜哉の声も明るい。異郷の空の下、私たちはそれぞれとても上機嫌だった。

 混血児を意味するアイノコに、ドモ、の2音を添えればアイノコドモになる。そんな言葉遊び的な響きの発見から、上海で出会った「愛の子ども」たちの物語が動き出す。そして旅の日々が終わり、社会に出てそれぞれの道を歩む主人公たちの後日譚に、誰かと共に生きることのリアルと、言葉でつながることへの確かな希望が描かれている。


 読んでいてふと思ったのだが、アイノコに、トバ、という2音を添えれば、アイノコトバになる。「アイノコと場」「愛の言葉」をめぐる小説でもあるのだろうか、と思いを巡らせる。それはともかく、この作品は青春文学の傑作で、自分自身の言葉を見つけたいと模索する若い人たち、10代の中学生や高校生にもすすめたいと私は思った。 

 最新作『真ん中の子どもたち』からさかのぼって、白水Uブックス版の『来福の家』(白水社、2016)も読んだ。所収のデビュー作「好去好来歌」。こちらは、胸を締め付けられるような痛みを感じる小説だった。


 言葉から傷つけられ、言葉を傷つけることでできた引っ掻き傷の跡のような、無数の線が文章の皮膚に癒えきることなく残っている。「国語」に居場所を持てない若く小さな魂が、言葉を必死に生き抜いている。そして国籍、民族、性別。目の前で一方的に刻まれる境界線の手前でおののく繊細な主人公、楊縁珠が問いかけるものに目を見開いた。


 続けて表題作「来福の家」。デビュー作と比べて物語のトーンは柔らかなものになっているけど、テーマは変わらない。ここで、「真ん中の子ども」たちは日本で暮らすある台湾人姉妹だ。最後の場面、旅の人生の中で言葉をさまよい、言葉を生き抜くその先で、自分が自分であることを静かに肯定する彼女らの会話に、じんわりと込み上げるものを感じた。

 

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作家・李良枝のこと

 

 温又柔の一連の小説を読んで、作家・李良枝のことを強く思った。在日コリアン2世。代表作は「由煕」。「国語」に居場所を持てない小さな魂の物語を何度も何度も語り直さなければ、片時も生きられないような小説家だった。1992年に、若くして亡くなった。



 国語と国語、日本語と韓国語のはざまで、「言葉の杖」を求めること。李良枝にとって最も切実なテーマを受け継ごうとする意志が、台湾生まれ・〈日本語育ち〉の作家、温又柔の作品にあると思う。文学の魂は、一人作家の死によって終わることなくこうして継承され、変奏され、川の流れのように未来に向けて滔々と流れてゆく。

 ところで、山梨の私の母方の親族が作家の家族と浅からぬ縁があったので、李良枝には特別な思い入れがある。母はいつも「よしえちゃん」と言っていた。その度に私は、「ヤンジだよ。イ・ヤンジって名前を選んだんだよ」と知ったかぶりを返していた。決して読書家ではない母は亡くなる少し前に、「よしえちゃんの本を持ってきて」と私に頼んで、懐かしそうに全集のページをめくっていた。その時は私も、「ヤンジだよ」などと言い返したりはしなかった。

 李良枝の小説も、久しぶりに読み返してみたい。「自分は日本にも帰り、韓国にも帰る」という彼女が残した言葉を、思い出した。

 

植本一子の3冊の本

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 「コインランドリーに行き、一人になったとき、泣きそうになった。本当に、これからどうなるのだろう。乾燥機にかけているあいだにスーパーへ行くが、何を買えばいいのかがよくわからない。帰り道に銀杏の匂いを感じて、また辛くなった。この秋と去年の秋は同じはずなのに、全然違う。見るもの聞くもの、全部違う。どこかでずっと同じだと思っていた。毎年同じように暮らすのだと思っていた」

−−植本一子『家族最後の日』

 

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 作家や文筆家と呼ばれるのが苦手だそうだが、私にとっては書くべくして書いている「作家」でしかないのが、植本一子さんだ。写真家でもある彼女の『家族最後の日』(太田出版、2017)という真っ赤な本の中に、こんな記述がある。

『かなわない』を読んで『人間の大地』を思い出した、という話をされ、ずっと読もうと思っていたもの。淺野さんのあのときの話がとてもよかったのだが、不思議とよかったという輪郭しか思い出せない。

 二人でおしゃべりした「あのときの話」がよかったかどうかはわからないが、そこで植本さんに伝えたかったことを2年後のいま、もう一度振り返って考えてみたい。

 

2

 この機会に、『かなわない』(タバブックス、2016)、『家族最後の日』、『降伏の記録』(河出書房新社、2017)という植本一子さんの3部作をあらためて読み直してみた。

私が撮った写真が遺影になったことが2度ある。

 『かなわない』の巻頭に収録された作品「遺影」は、何度読んでも出だしから震えるものを感じる。忘れがたい魅力がある。

 植本さんの作品については、「写真家・植本一子が書かずにはいられなかった、結婚、家族、母、生きづらさ、愛。すべての期待を裏切る一大叙情詩」、「母との絶縁、義弟の自殺、夫の癌―写真家・植本一子が生きた、懸命な日常の記録」などと出版社によって紹介されている。

 一種の日記文学であるどの著作でも、語り手である植本さん、すなわち「私」は感情の暴風雨に巻き込まれていて、立っていられないほど揺れる人間関係の網目の上で身動きもできない。

 しかしここで、不思議なことが起こっている。

 遭難状態にある「私」の人生体験から生み出された言葉は、「私だけを見て」という自己閉塞におちいることなく、他の誰かの苦しみや悲しみに開かれているのだ。

 

3

 私がはじめて『かなわない』を読んでいる時、ちょうど作家サン=テグジュペリの散文作品『人間の大地』がそばにあった。

 飛行機乗りでもある作家はサハラ砂漠に墜落して不時着し、火を焚き何日も渇きに耐え、死に直面しながらなおこう叫ぶのだった。少し長いが引用する。

そうだ、そうなのだ。耐え難いのはじつはこれだ。待っていてくれる、あの数々の目が見えるたび、ぼくは火傷のような痛さを感じる。すぐさま起き上がってまっしぐらに前方へ走りだしたい衝動に駆られる。彼方(むこう)で人々が助けてくれと叫んでいるのだ、人々が難破しかけているのだ。

 この多くの難破を前にして、ぼくは腕をこまねいてはいられない! 沈黙の一秒一秒が、ぼくの愛する人々を、少しずつ虐殺してゆく。はげしい憤怒が、ぼくの中に動き出す、何だというので、沈みかけている人々を助けに、まにあううちに駆けつける邪魔をするさまざまの鎖が、こうまで多くあるのか? なぜぼくらの焚火が、ぼくらの叫びを、世界の果てまで伝えてくれないのか? 我慢しろ……ぼくらが駆けつけてやる!……ぼくらのほうから駆けつけてやる! ぼくらこそは救援隊だ! 

 

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 『人間の大地』のこの場面を読んで、まっさきに救われなければならない瀕死の遭難者が、自分ではない誰かが世界のどこかで生き延びることを必死に願いつづけるという「途方もなさ」に驚いた記憶があった。

 文学にはこういう人間の真実を表現できる力があるのか、と。

 そして植本さんの作品を読んでいる間、同じタイプの「途方もなさ」が、波のようにこちらへ押し寄せるのを感じたのだった。

 それは、彼女にしか書けない文体の力によるものだろう。手放したくても簡単には捨てることも失うこともできない人間関係を、書くことで必死に生きなおす嘘のない言葉が、読者の人生に応えるのだ。

 共感も共苦もしがたい他ならぬ「私」のつぶやきが、遠く離れた困難の渦中にある生きることの切実さにまっすぐ届く。目の前にある世界が真っ暗な闇にしか感じられないほど、孤独や絶望に押しつぶされている人の行方を照らす灯りになる。

 植本さんの書く作品には、そんな不思議な言葉の力がある。

 

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 一番新しい作品『降伏の記録』で、装丁家鈴木成一さんが失意の植本さんを励ます場面があるが、私も一字一句、同じことを思う。

 とにかく植本は、書いて書いて書きまくれ。それに救われている人が沢山いる。迷惑かけて生きていけ。

 上から目線で恐縮だが、植本さんの作品を読んでいて、とにかく文章がうまいと感心するのだ。例えば、ふいに訪れる凪のような感慨を記す、『降伏の記録』のこんな文章。

 言葉が通じなくても、いつも静かに見守ってくれていた自然。それに昨日気づくことができて良かった。あの田舎の風も、きっとこの東京に吹いている。死んでしまった人たちも、目に見えないだけで、きっといつまでもそばにいる。見えないけれどそこにある、風と同じようなものだろう。

 あるいは、3部作ではないが、ECDとの共著『ホームシック』(ちくま文庫、2017)所収の「ビギナーズラック」に、私がなんども読み返す大好きな文章がある。

タクシーが角を曲がって、とうとう姿が見えなくなった。切り離されてしまった先生と私。そして私と娘。娘の小さな手を握って、タクシーに乗っていた。まぶしい冬の光の中、大きな一本道を走る。十分も走ればいつもの家に着く。でも私は、もっと違う場所へ行くのだと思った。想像もできない場所へ。

 植本さんの作品の随所で、「うまい」という以上の何かが不思議とクールな観察者的文体を形作っていて、それが火傷しそうに熱い内容を鎮めている。個人的にはそこに強く惹かれる。これは、写真家=見る人に独特の文体なのだろうか。

 

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 『かなわない』をはじめとする植本さんの作品は、痛々しい私情をさらけ出す自己愛的な身辺雑記とはまったく違う。

 そもそも彼女が書いているのは「私のこと」というよりも「人のこと」だ。ひとたびページを開けば、そこに記されるのは「重要な他者」たちの列伝だということはすぐにわかる(「重要な他者」というのは『降伏の記録』の鍵言葉)。

 母のこと、義弟のこと、夫のこと。娘たちのこと、友人のこと、仕事仲間のこと。もう一度会いたい人、二度と会いたくない人。かれらの面影と対話を続け、省察する。 

 「私」は家事をしても買い物をしても何事にもよく手を動かす人で、摘んだ途端にいのちが弱くなる野花を枯れないうちに一輪一輪本に挟んで押し花にするような、気になるものごとにはこだわらずにはいられない几帳面さがある。

 作品の中で右往左往する植本さんの姿を見ていると、まるで地理測量士博物学者のように、家族とその周辺というフィールド、そして他者と自分との間に引かれた目に見えないボーダー(国境線)を丹念に調査しているような印象を受けるのだ。

 「私」の心に刻まれた引っ掻き傷でもあるそれら複数のボーダーの長さや深度、交わりの具合を淡々と測りながら、向こう側にいる人との関係の意味を何度も問い直し、お互いに壁を築いたり壊したりし、境界を越え、越えられることで変化する感情生活の断片を一つ一つ記録していく。

 

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 先ほど書いたことを繰り返すが、手放したくても簡単には捨てることも失うこともできない人間関係を、書くことで必死に生きなおす嘘のない言葉が、読者の人生に応えるのだろう。

 その言葉の力によって、誰かに理解される必要もない個人的な日常が、誰にとっても他人事ではない普遍的な世界に反転する。『かなわない』『家族最後の日』『降伏の記録』の3部作を、私は掛け値無しに日本語で書かれた世界文学だと考えている。

 植本さんの作品を読むことで、私はいま、私自身の人間関係を必死に生きなおし、私自身の心に刻まれたボーダーの手前で遠い声に耳をすませている。

  「私」というボーダーランズの風景のなかで、誰のものともわからないその声に思いがけず揺さぶられることで記憶の蓋が開かれ、普段は見ないことにしている感情の所在にふと気づかされる。

 そして、あまりにも当たり前すぎて忘れてしまっている、誰かとともに生きてきたこと、誰かとともに生きていくことの確かな実感を、ある痛みとともに思い出すのだ。

 

 たった一人で植本さんの本を読む私もまた、彼女の言葉に救われている。

 

木村友祐の小説『イサの氾濫』ほか

 

『イサの氾濫』

 

 木村友祐の小説『イサの氾濫』(未來社、2016)を読んだ。期待を裏切らない、素晴らしい小説だった。私自身が生きる今という時代に必要な文学の力を感動とともに噛み締めている。

 歴史が実証するものに学び、それを未来に伝えることは、今という時代を生きる者の責任だろう。しかし文字に記録される歴史の外には、文字に記録されなかった声なき声の広大な世界がある。それをなかったことにすることもできない。

 生きることの困難に直面し、悩み苦しみ、思いを深め、自分のことばで必死に考え抜いたことを、誰かに知ってほしいと願いながら歴史の舞台からはかなく消えた無数の声たち。そして声にすらならない叫び、歯ぎしり、ため息。

 歴史学とは別の倫理に突き動かされる「想像」の力によって、これら声なき声にじっと耳を傾け、沈黙に新しい声を与えるのが文学や芸術の一つの役割だった。

 木村友祐の小説『イサの氾濫』は、そのような意味での正真正銘の文学だ。

 東日本大震災後の青森・八戸が物語の舞台で、東京から帰郷した小説家の男が語り手。親族の変わり者で、生きづらさを抱えたまま放蕩を繰り返し、傷害罪など前科を重ねた行方知れずの叔父・イサの記憶を男がたずねる。
この主人公の男もまた、東京での仕事や人間関係が思い通りにならず、ある種の生きづらさを抱えていた。

 故郷・八戸での同窓会で直面した失意の出来事をきっかけに男の記憶の蓋が開かれ、忘却という名の暴力に抗うイサの叫びが、東北のまつろわぬものたちの叫びが、堰を切ったように意識の内側からあふれ出す…。

 『イサの氾濫』を読み終えて、いまも心が震え続けている。

 吹く風に身をさらすことで、はじめて自分の存在を強く感じることがあるだろう。この小説から、まぎれもない東北の風が吹いてきた。それは荒ぶるイサの怒声のように、匂いがあり湿り気を帯びた重みのある風で、激しい音を立ててかたわらを吹き抜けていく。


 ずしんと体に響く物語の風の重みに耐えることで、ようやく気づいた震災後を生きる私なりのリアリティがあった。長い間、どこかでそれを語ることを避けてきた。しかしこの小説を読むことで自分自身の中にある暗い穴、その奥底で押し黙っていた声の存在を直視する勇気をもらった気がする。

 木村友祐の小説『イサの氾濫』は、原爆投下直後の広島の惨状を描き切った原民喜「鎮魂歌」のように「失われゆく声の復活」に挑む強い意志に貫かれた文学だ。と同時にそこには、生きることのさびしさに裏打ちされたやさしさも漂っていて胸を打つ。

 一人でも多くの人に読んでほしいと思う。

 表題作のほか「埋み火」という作品もいい。版元の未來社は小説を多く出している出版社ではない。文芸誌に掲載されたまま、埋もれかけていた表題の作品が、文芸批評家や編集者など理解ある人の縁がつながって書物として生まれ変わり、未來社から刊行されたという。このような出版の経緯も、興味深い。


 

『幸福な水夫』

 

 同じ出版社から新たに刊行された木村友祐の最新作『幸福な水夫』(未來社、2017)もつづけて読んだ。内容はもちろん、ブックデザインも秀逸だ。半身不随の老父と息子たちが下北半島を旅するロードムービー風の小説「幸福な水夫」が、とりわけ心に残る。

 所収のエッセイで、「震災前と震災後では、ぼくの書き方はガラリと変わってしまった」と作家は書いている。私自身の読み方も、ガラリと変わってしまったのだろう。文学を読み、今も持続する心の震えを確かめることで、はじめて開かれる目や耳がある。 

 『イサの氾濫』と同じようにこの本が、そのことを気づかせてくれた。

 

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『野良ビトたちの燃え上がる肖像』

 

 そして、小説『野良ビトたちの燃え上がる肖像』(新潮社、2016)。東京五輪を思わせるメガ・スポーツイベントを控える近未来の日本、河川敷に暮らす野宿者や猫たちの社会を舞台にした長編だ。

 これは、「小説家の使命とは何か」を深く考えさせられる驚くべき傑作だった。

 空き缶を集めて換金し廃材を使って自作した小屋で生活する野宿者・柳さんの取材をしていた雑誌記者だったのだが、失職して同じ野宿者になった木下。小説の一登場人物であるこの木下が、物語の途中で「ぼく」として登場する。唐突な語りの人称の変化に驚いたが、決して奇をてらったものではなく、最後の場面を読めば、絶望を希望に反転させる必然の方法だと深く納得する。

 現実を唯一の現実として捏造しようとする国家や資本の力がある。その力にねじ伏せられた市民社会が見て見ぬふりをし、なかったことにしようとする「もう一つの現実」が河川敷にはある。

 いつからか、「野良ビト(ホームレス)に缶を与えないでください」という看板が対岸の住宅街に立てられるようになる。野宿者の目の前にまで押し寄せる不穏な力によって「もう一つの現実」が完全に浄化されようとする。

 その前に、社会のフレームの外に排除された声なき声、目に見えない小さな存在、ありえたかもしれない人生を想像の力によって収集すること。

 そしてフィクションの形式で語ることを通じて、「もう一つの現実」を生きられた世界として再創造すること。

 「ここで見たこと、いつか書いてくれよ」と託された木下=ぼくは、社会に蔓延する排除と分断の力に抗して記憶の人になる。そして、彼は小説を書きはじめる。柳さん、リハド、三村親子とサクラのことを。暴漢によって襲撃され火を放たれた河川敷の風景の中で、生き延びるために疾走するかれらの最後の姿を。

 この長編小説から問いかけられる何かについて、私はさらに長い人生の時間をかけて考え続けることになるだろう。

 

 『聖地Cs』(新潮社、2014)を含め、数週間のあいだに小説家・木村友祐の近作を一気にまとめ読みした。もともとは、葉山のbookshop kasper で『イサの氾濫』をすすめられて読んだのがきっかけだった。一生ものの真の読書に値する文学との出会いは、こんな風にして小さな本屋さんからはじまる。