ASANOT BLOG / アサノタカオの日誌

編集者。本、旅、考える時間。

単独性にたった連帯をうながす「物語」とは 星野智幸の小説『焔』

 

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http://www.shinchosha.co.jp/book/437204/

 

 星野智幸の小説『焔』を読了。2018年1月末の刊行。ちらちらと目にする口コミや予感から、読んだらハマって抜け出せなくなるのではないかと恐れて今日まで禁欲してきたのだが、近所のK書店でついに手を出してしまった。

 案の定、ハマってしまった。一度読みはじめれば、堰を切ったように想像力の奔流が止まらなくなり、流れに乗って心はさらわれるしかない。

 最高にスリリングで、切実な問いを突きつけるオムニバス小説。戦争と異常気象が日常化し、弱肉強食の経済原理が人心を荒廃させる近未来のこの国で、最後の生き残りたちが焚火を囲んで語る9つの奇妙な変身譚から構成されている。 

 人々が互いに敵か友かを監視し合い、つねに何者かであることを洗脳され強制される社会から脱出するためには、「自分」でない何ものかに「移し身」するしかない。そうでなければ自分が自分であることを自ら確かめ、誰かに伝えることすらできないという逆説。そんな絶望的なエクソダスをめぐる語りが次から次へと横滑りし、抑圧と自由がせめぎ合う物語群の展開に息を呑む。

 語り手はそれぞれの変身譚を語り終えると暗闇に消えてゆき、世界から一人ずつ人間がいなくなる。理由の判然としない絶滅の気配が、ひたひたと押し迫る。あの語り手たちはいったいどこに旅立ってしまったのか、やがてなくなろうとしているこの焚火が燃える現実は何なのか。

 人間が貨幣になり自らを売買するディストピアを語る「人間バンク」、介護疲れの家庭から老人を格安で引き取る謎の団体をめぐる「何が俺をそうさせたか」。こうした物語に示される絶望を目の当たりにすると、これは他人事ではなく私たちが生きる社会そのものではないか、と呪いにかけられたような重苦しい気持ちになる。

 しかし最後、こちらの常識的な理解が炸裂する解放感がもたらされる。ラストの「世界大相撲共和国杯」を読んで、ぜひそれを体験してほしい。未来の「角力」界では、力士も部屋も協会も今以上に多国籍化し、男もおかみさんになるなどジェンダーの縛りがなくなり、国技館の館内にはエスニック料理の露店や古本屋などが無秩序に並んでいて痛快だ。

 

 この小説を読み終えて考えたのは、感情の血糖値を上げて集団的な熱狂へ誘う共同体のための物語(私はそういうのが大嫌い)ではない、それぞれの単独性にたった連帯をうながす「物語」とは何かということ。

 共同体が押しつける唯一の物語に服従し、服従したものどうしが内輪で群れることの息苦しさに対して、「共同体の外部へ越境して何かと何かの間で生きなさい」と呼びかけて事足れりとするのではない道。

 小説の冒頭で語られる「私たちは、物語に失敗し続けてきた」という自覚の上でなお、集団の大きな声に代表されないほかならぬ自分の物語を語り手と聞き手が分かち合い、そのことで一人と一人が熱狂とは別の回路でつながり合う共存関係はどうすれば可能なのか。

 読者であり聞き手である私は今、心の中で小説の舞台である草原のはるかな風景を見渡しながら、答えではなく、その問いの入り口に立ち尽くしている。

 当たり前のことだが、分かち合われる物語のベースにあるのは「言葉」だ。信じるに値するその意味だ。政治権力が率先して言葉に対する私たちの信用を暴落させるこの国の現実を思うとき、「世界大相撲共和国杯」の主人公・ハシブが吐露するつぶやきが忘れられない。

ぼくは一瞬、よく理解のできない絶望にかられた。無数の物語の集積が、ぼく一人にのしかかってくる。すべての物語を、ぼくは知り尽くすこともできない、受け止めることもできない。

 国技館の「ちゃんこ市場」には、トルタ売りのメキシコのお兄さんがいて、カフカース地方のオセチアから逃れた亡命親子がいる。「それぞれ重く逃れようのない物語を抱えて」生きる無数の他者たちが交錯する風景に、ハシブは打ちのめされ、口を閉ざす。だが、この「よく理解のできない絶望」を裏打ちする、世界の圧倒的な多様性に対する彼の謙虚さこそが言葉の、物語の、文学の信用回復のための鍵ではないだろうか。

 

 書物としての小説『焔』を飾るのは、横山雄の装画・題字を箔押ししたインパクトのある装幀。それは、燠火のようなゆらめく輝きを放つ。カバーを外した表紙、薄く文字がうかびあがるような扉、本文のレイアウトなど、随所に小説の世界観に奥行きを与える工夫があり、ブックデザインを眺めているだけで陶酔する。

 手元に置いておきたい、美しい本だ。

 

岡村淳のドキュメンタリー『リオ フクシマ 2』と山尾三省の詩

 

 ブラジルの記録映像作家、岡村淳さんの最新作『リオ フクシマ 2』の上映会に参加した。期待をはるかに上回る、素晴らしい作品だった。そして予想に反して、鑑賞後にこれほど静かな気持ちになれる作品だと思わなかった。

 映像作品から受け取ったメッセージを感動とともに反芻しながら、たまたま詩人・山尾三省の本を読んでいると、自分の中で岡村さんのドキュメンタリーと強く響き合うものがあった。そこで考えたことを記しておきたい。

 

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 詩を読むとき、私はたいがい「私」という仮面をかぶっている。自分の肉眼では見ることのできないその顔には何と書いてあるのだろう。「批評」だろうか、「思想」だろうか。「歴史」だろうか、「社会」だろうか。顔は、なんとかその意味を理解してやろうと身構えているにちがいない。

 ところが、山尾三省の詩を読むとき、私は「私」を脱ぎ捨てることができる。意味に意味を上塗りするような、解釈の言葉を脱ぎ捨てる。「私」を脱ぎ捨て身軽になって『聖老人』や『びろう葉帽子の下で』といった詩人の書物を訪ねれば、いつもそこに変わらぬ三省の詩という火が焚かれていて、心の底から安心する。

「いろりを焚く」

 

家の中にいろりがあると
 

いつのまにか いろりが家の中心になる
 

いろりの火が燃えていると
 

いつのまにか 家の中に無私の暖かさが広がり
 

自然の暖かさが広がる

 
 屋久島の森のそばで生きて、死んだ詩人が遺したことばだ。山尾三省は、環境問題やアニミズムの思想家でもある。

 三省の詩はほかならぬ三省の詩でありながら、どの作品にも「無私の暖かさ」が広がっている。詩人の「私」ではない、何か大いなるものが、詩人の「私」を通じてうたっている。

 詩のことばを読み、「無私の暖かさ」に心の手をかざしながら、疲弊した言葉の意味がやわらかく回復するのを静かに待つ。家、いろり、いつのまにか、自然。人類が当たり前のように使ってきた言葉に、当たり前のように込められてきたはじまりの意味がふたたび宿るのを、私はひとつひとつ確かめる。

 

 先週末(2018年4月14日)、下高井戸シネマで在ブラジルの記録映像作家、岡村淳さんの最新作『リオ フクシマ 2』を観た。岡村さんのドキュメンタリー作品を鑑賞している間、私は山尾三省の詩に抱くのとまったく同じ「無私の暖かさ」を感じつづけていた。

 2012年、リオデジャネイロで開催された国連の環境会議と並行して、世界中の市民団体が集会やデモを行うピープルズサミットが開催された。主人公は日本から参加したNPOの代表、坂田昌子さん。岡村さんは、ピープルズサミットの会場で福島原発事故生物多様性の問題を訴える彼女たちの団体を追いかけ、撮影を続ける。

 会場の屋外スペースに張られたテントの中で、持続可能な環境について、公正な社会について熱心に語り合う真摯な人びとの姿がそこにある。しかし私が忘れられないのは、岡村さんがこのサミットの渦中から一歩身を引く印象的な場面だ。

 さまざまな主義主張を訴える市民団体による大規模なデモ行進がリオの路上で繰り広げられるかたわらで、岡村さんは「カンデラリア教会虐殺事件」の現場をたった一人で訪れる。

 路上で生活していたストリートチルドレン8名が、貧困層への差別と治安悪化を理由に銃殺された事件。発生から20年以上経ち、いまやほとんど誰も見向きもしない子どもたちが斃れた現場に、カメラを構える岡村さんは追悼の思いを込めて寝そべる。

 「声」を記録する。と同時に「声の圏外」にある沈黙にも反応し、それを記録せずにはいられない岡村ドキュメンタリーの変わらぬ意志に打ちのめされた。

 そして『リオ フクシマ 2』を観終わって、この作品はある意味で岡村さんの自伝ではないか、と私は感じた。

 主人公たちの他に、通りすがりのブラジル人の学生たち、カカオを売る土地なし農民運動のリーダー、リテラトゥーラ・コルデル(紐吊りの文学)という冊子を売る地方の吟遊詩人、国際的に活動するジャーナリスト、弁護士、科学者などが、東日本大震災以降を生きる私たちに向けて、飾らないことばでメッセージを送る。

 そして、あの虐殺されたストリートチルドレンたちの沈黙。

 この作品に登場し、さまざまな考えや思いを語る人たちの声が、カメラの後ろで自己を語ることを禁欲し、「無私」に徹してひたすら記録を続ける一人の映像作家の顔を、逆説的に描き出している。

 岡村ドキュメンタリーのファンであれば、MST・土地なし農民運動やブラジル奥地の貧しい子どもたち、日本人移民の植物学者の旅を記録した過去の作品を連想し、『リオ フクシマ 2』に、岡村さんのこれまでの歩みや世界観が見事に凝縮されているとも感じるだろう。

 小説家の星野智幸さんが、ご自身のブログでこの点をいち早く指摘している。

 星野智幸 言ってしまえばよかったのに日記

 岡村淳さん新作『リオ フクシマ2』レビュー 
 http://hoshinot.asablo.jp/blog/2018/04/14/8826539

 

 『リオ フクシマ 2』では、岡村さんはピープルズサミット終了後、坂田さん一行を国立公園の森へと案内する。美しいラストシーンだ。緑したたる木々に囲まれたのぼり坂を、岡村さんはカメラを構えて後ろ向きに歩きながら、道端の緑に触れ、滝の水場で遊ぶ坂田さんたちの姿を記録する。

 坂田さんは道中であいかわらず国内外での運動について語り、環境問題を語るのだが、主義主張の殻が破れて言葉がどんどんやわらかくなり、生き生きとしたものに生まれ変わる様に息を飲んだ。

 福島原発事故とその被害について思うところを語り続けながら、彼女は最後に「辛いんです」と漏らしていた。

 時と場合によっては「偽善」とも聞こえかねない言葉が、文字通りの純粋な意味として私のもとに届けられる。そしてここでようやく、坂田さんもまた、無私の心に突き動かされて自分ではない誰かのために生きる人だったことに思い当たるのだ。

 ブラジルの地で出会った坂田さんと岡村さん。ひとりの無私の声を、別のひとりの無私の耳が、沈黙のかたわらにある静けさの中で聞き遂げる。それは、野鳥のさえずりとせせらぎが聞こえるリオの亜熱帯の森で、ことばが、ことば本来のはじまりの意味を回復する奇跡をとらえた瞬間だった。

 「辛いんです」という岡村さんが聞き遂げたことばを、私もまた「私」を脱ぎ捨ててそのまま受け止めたい。そこに、今という時代において信じるに値する意味があり、希望があった。

 

赦しのドキュメンタリー 岡村淳『ばら ばら の ゆめ』

 

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http://www.minatonohito.jp/products/137_01.html

 

 昨晩(2018年2月18日)、西荻窪のAPARECIDAでブラジルの記録映像作家、岡村淳さんのライブ上映会に参加し、ドキュメンタリー作品『ばら ばら の ゆめ』を鑑賞した。今も胸騒ぎがしている。ファースト・インプレッションを記しておきたい。

 本作の主人公は、神奈川のブラジル人学校でボランティアで音楽を教える木村浩介さん、そして歌手になりたい夢を持つ10代の在日ブラジル人姉妹。ギターを弾く木村さんが彼女らのためにオリジナルの楽曲を作る。Duas Rosas、2本のバラ。この曲がとてもいい。『ばら ばら の ゆめ』は、この3人が海辺の音楽祭の出場に向けてレッスンを行う一夏の記録だ。

 途中、木村さんがアマチュア楽家として夢を託した姉妹の家族が、ブラジルへ帰国することが判明する。そして泣き出さんばかりに動揺を隠さない木村さんのナイーブな姿を、岡村さんのカメラは静かに見守り続ける。姉妹が10代の少女らしく前向きに夢や悩みを語るかたわらで、別れの感情を無防備と言えるぐらい純粋に受け止め、苦悶する木村さんの思いの深さに胸を打たれる。

 人はこんなにも、出会いの結末を悲しむことができるのか、と。

 カメラは被写体となる人間に沈黙を強制し、戸惑う表情だけを興味本位で切り取ることもある。相手の魂を撃ち抜く武器にもなりうる。

 しかし岡村さんのドキュメンタリーでは、向けられるカメラに促されるように、主人公が本当に大切なことをさりげなく語り出すシーンがよく見られる。我が身にカメラを向けられることを想像すればすぐにわかるが、普通は怖気づいたり舞い上がったりして、人はあのようには自然体で語れない。

 だが岡村作品にあっては、傷を含めた内面の奥深くにしまい込まれた精神性が、語り手の飾らない表情と言葉を借りて陶然と語り出すことがある。薄明の室内で独白する木村さんの姿が、別の岡村作品『あもーる あもれいら 第二部』の主人公、ブラジル奥地で貧しい家庭の子供たちを支える宇田シスターが長崎での被爆体験を語り出す祈りの姿に重なった。

 問いかけ追求するドキュメンタリーではなく、相手を受け入れ赦(ゆる)すドキュメンタリーというあり方が、岡村作品を他のいかなる表現にも比べられない特別なものにしている。

 岡村さんのドキュメンタリーを衒学的に解釈するのは野暮だが、私はこの作品を観終わってサン=テグジュペリ星の王子さま』を思わないわけにはいかなかった。ふるさとの星の一本の美しいバラと別れ、星々や地球をさまよう王子さま。旅の途中で、別れることの意味を少しずつ理解していく王子さまに、賢者の狐が語りかける。

きみがバラのために費やした時間が、きみのバラをかけがえのないものにしているんだ。

 『星の王子さま』の物語の悲しい結末も含めて、王子さまのさすらいと木村さんの生き様がどうしても二重写しになってしまう。木村さんが2本のバラのために費やしたささやかな音楽の時間が、さびしさを抱える少女たちの一夏の輝きをかけがえのないものにしている。

 2度と取り戻せない一期一会のこの出会いを、忘れないでほしい。何度でも思い出してほしい。『ばら ばら の ゆめ』という作品が、そう語っているように私は思った。

 

 

 作品の詳細に関しては岡村淳さんのウェブサイトをご覧ください。

 ブラジルに渡ったドキュメンタリー屋さん
 岡村淳のオフレコ日記
 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/

 

君のものではない、世界の声に耳をすませろ 宮内勝典の文学

 

西子智さん編集のZine『ライフ 本とわたし』(2017年10月)に寄稿したエッセイを再掲載します。

 

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https://life-hontowatashi.tumblr.com/

 

 右に行くべきか、左に行くべきか。前に進むべきか、後ろに退くべきか。人生の岐路に立たされた時、自分のなかをどれだけ探しても、答えとなる「ことば」が見つからないことがある。

 暗闇のなかで金縛りにあったように、足がすくんで一歩も踏み出せず、途方にくれる時がある。灯りは、どこにあるのか。

 

 「自分探し」という用語が、かつて流行した。90年代後半、日本社会に満たされない思いを抱えた多くの若者が、「本当の自分」を求めて海外旅行に出かけた。私も、そのような若者の一人だった。

 インドや東南アジアあたりを放浪したところでリアルな何かを見つけられるはずもない、とブームに冷ややかな目をむけつつも、時代の空気を潔く振り払うこともできないでいた。いまここに安住してしまうことへのどうしようもない苛立ちや焦りに、若い私の自我(エゴ)も膨らみきっていたのである。

 1998年5月、宮内勝典の小説『ぼくは始祖鳥になりたい』が刊行された。上下2巻、全編約600ページの大長編の旅の文学である。刊行直後、不思議なタイトルに惹かれて書店で手に取り、本を買ったその日に一晩かけて読み切った。

 『ぼくは始祖鳥になりたい』を読んでいる最中、「ことば」は外からやってきた。古代の石器のような硬質で野性的な小説言語によって、自意識は切り刻まれ、最後の一片まで打ち砕かれた。そして最後のページを閉じたときには、すっかり空っぽになった私のなかを、大いなる風が吹き抜けていくのを感じた。

 「君のものではない、世界の声に耳をすませろ」。それが、あのとき宮内勝典の文学から受け取ったメッセージである。そのメッセージは、いまの私にとっても、行方を照らす灯りであり続けている。

 

 『ぼくは始祖鳥になりたい』の主人公は、アリマ・ジロー。幼い頃にスプーン曲げの超能力でもてはやされたもののその能力を失い、しかし左前頭葉から特殊な電波を出しつづける日本人の少年である。アメリカ合衆国の地球外生命体探査計画にかかわる実験への参加をきっかけに、不思議な偶然に導かれるまま、南北アメリカ大陸をさすらうジローの遍歴の物語がはじまる。

 日系アメリカ人の女性、黒人とアイルランド系白人との混血児である宇宙飛行士、先住民の老シャーマンらとの出会いを経て、ニューヨークからアリゾナの砂漠へ、さらにネイティブ・アメリカンの野営地からゲリラ闘争が行われる中米の熱帯雨林へ。スケールの大きな冒険行が続く。

 旅を終えて、北米に帰還したジローは、最後、地球外生命体との交信を夢見る老天文学者の妄想じみた願いを受け入れる。そして砂漠の電波天文台の電極を頭皮に植え付けられ、メッセージを宇宙空間に発信しようとする。巨大アンテナにつながれたジローの意識に、遍歴の途上で出会い別れた人物たちの声のみならず、地球という惑星に満ちた声という声が一挙になだれこんでくる─。

 世界は、数式に還元される単に物理的なものとしてあるのか、それとも生きる上で意味ある出来事としてあるのか。

 究極の問いのはざまで、自我になだれこむ悲痛な叫びにも似た声たちを一身に背負い、そこに「意味」をあらしめようとするジロー。主人公である彼に宿る集合意識が、ここではないどこかへ祈るように呼びかけるラストシーンは、圧巻である。

 著者の宮内勝典は、1944年ハルビン生まれ。作家としては1979年に『南風』でデビューした。60年代と80年代にニューヨークに住み、これまでアメリカ、ヨーロッパ、中東、アフリカ、南米など60か国以上を巡り歩いている。

 「世界の果ての果てまで、切っ先まで見切りたい」。小説の主人公にそう語らせる作家の思想に大いに感化されて、学生時代の私は南米の国へと旅立った。ある文化人類学の調査プロジェクトに見習いとして参加して、2000年から3年間をすごした。そしてさまざまな日系移民の古老や混血のラテンアメリカ人を訪ね、かれらの旅の物語をひたすら聞き書きするという作業に没頭した。

 自分探しはしない。自分ではない誰かから託された声を記録し伝えること。このときの旅から学んだ経験が、のちに編集という仕事を選択することにつながった。

 2017年5月、宮内勝典の待望の新作『永遠の道は曲がりくねる』が刊行された。『金色の虎』をあいだにはさんで、アリマ・ジローの物語3部作の完結編である。『永遠の道は曲がりくねる』でジロー少年は青年・有馬となり、世界放浪の果てに沖縄の精神病院で働いている。沖縄戦において多くの命が犠牲になったとある洞窟(ガマ)から、戦争の世紀と言われる20世紀以降の、目を背けたくなるような人間の残酷と悲劇をたどる新たな旅の物語が動きだす。

 余計な解説を加えることは控えよう。正真正銘の文学でしか味わうことができない、善悪を超えたリアルに直接、触れてほしい。とくに現代社会のなかで生きづらさに悩み、信じるに足る「ことば」が見つからない不安を抱くすべての人たちに読んでほしい。

 

 「君のものではない、世界の声に耳をすませろ」。かつて『ぼくは始祖鳥になりたい』という小説から受け取ったこのメッセージこそ、エゴイズムに取り憑かれた時代から脱出するための希望である、と私は信じている。自国第一主義テロリズムポスト真実の政治や排外主義的なヘイトスピーチ。自己決定、自己責任、自分らしさ。私たちの意識がますます分断され閉塞してゆく時代の空気に抗うことができるのは、「外」へ目を見開かせる文学の力しかない。

 宮内勝典の文学という灯りがなければ、私は息のつまりそうな絶望にあふれるこの世界で前を向き、生きていくことはできなかった。

 

 本=宮内勝典『ぼくは始祖鳥になりたい』『永遠の道は曲がりくねる』

 

温又柔の小説『真ん中の子どもたち』ほか

 

『たった一つの、私のものではない名前』

 

 いまから10年ほど前のことだ。あるブックフェアに出展者として参加した際、私と背中合わせのブースに座っていたのが、「葉っぱの坑夫」の大黒和恵さんだった。葉っぱの坑夫は非営利のウェブ・パブリッシャー。ウェブ上で小説、エッセイ、詩、翻訳作品を無料公開する活動をおこない、紙の本や電子書籍も発行している。

 エディターの大黒さんとは初対面だったが意気投合して、出版に関していろいろなことを教えてもらった。私が、ブラジル日系移民の世界でのフィールドワークという回り道をして、本をつくる仕事をはじめたことを話したからだろうか。「だったら、これ読んでみて」と大黒さんから手渡されたのが、『たった一つの、私のものではない名前 my dear country』と題された小さな冊子だった。

 http://happano.sub.jp/happano/zine/zine.html#zine3

 はじめて出会った書き手の名前は、温又柔。台北で生まれ、父の日本赴任に伴い幼少時から東京に住む、というプロフィールが巻末に記されていた。

 「温又柔」は中国語の発音でウェン・ヨウ・ロウと読むのだが、日本では、おんゆうじゅう、として育った。舌と耳で感じないわけにいかない響きのズレから、台湾生まれ・日本育ちという〈はざま〉を生きる存在の消息を見つめる、みずみずしい散文作品だった。彼女が自己省察の手がかりにする、パレスチナ系アメリカ人の批評家エドワード・サイードや、チカーナの詩人グロリア・アンサルドゥーアら、私自身多大な影響を受けた文学者の言葉にも目を引かれた。

 のちにこの書き手が文学賞を受賞し、小説家としてデビューしたことを知った。

 

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『真ん中の子どもたち』

 

 ここのところ続いた移動のあいだ、作家・温又柔の芥川賞候補作となった長編『真ん中の子どもたち』(集英社、2017)を読み継いできた。これから何度も読み返したい、味わい深い小説。心地よい読後感に浸っている。

 台湾人の母、日本人の父のもとに生まれ、東京で育った主人公・琴子(ミーミー)が、中国の上海に語学留学する。日本、台湾、中国のはざまで同じような境遇を生きる若者たちの人生が異郷で交差する。どの「普通」にも収まらない琴子ら「真ん中の子ども」たちは言葉に移住する。他人から矯正も否定もされない自分だけの言葉、自分たちだけの言葉へと。


 「アイノコって響き、愛の子どもみたいだなあって」

 ダジャレみたいな思いつきに、私の友だちふたりは一瞬ぽかんとしたが、ミーミーらしいよ、とすぐに玲玲が笑う。それならおれたちは愛の子やね、と言う舜哉の声も明るい。異郷の空の下、私たちはそれぞれとても上機嫌だった。

 混血児を意味するアイノコに、ドモ、の2音を添えればアイノコドモになる。そんな言葉遊び的な響きの発見から、上海で出会った「愛の子ども」たちの物語が動き出す。そして旅の日々が終わり、社会に出てそれぞれの道を歩む主人公たちの後日譚に、誰かと共に生きることのリアルと、言葉でつながることへの確かな希望が描かれている。


 読んでいてふと思ったのだが、アイノコに、トバ、という2音を添えれば、アイノコトバになる。「アイノコと場」「愛の言葉」をめぐる小説でもあるのだろうか、と思いを巡らせる。それはともかく、この作品は青春文学の傑作で、自分自身の言葉を見つけたいと模索する若い人たち、10代の中学生や高校生にもすすめたいと私は思った。 

 最新作『真ん中の子どもたち』からさかのぼって、白水Uブックス版の『来福の家』(白水社、2016)も読んだ。所収のデビュー作「好去好来歌」。こちらは、胸を締め付けられるような痛みを感じる小説だった。


 言葉から傷つけられ、言葉を傷つけることでできた引っ掻き傷の跡のような、無数の線が文章の皮膚に癒えきることなく残っている。「国語」に居場所を持てない若く小さな魂が、言葉を必死に生き抜いている。そして国籍、民族、性別。目の前で一方的に刻まれる境界線の手前でおののく繊細な主人公、楊縁珠が問いかけるものに目を見開いた。


 続けて表題作「来福の家」。デビュー作と比べて物語のトーンは柔らかなものになっているけど、テーマは変わらない。ここで、「真ん中の子ども」たちは日本で暮らすある台湾人姉妹だ。最後の場面、旅の人生の中で言葉をさまよい、言葉を生き抜くその先で、自分が自分であることを静かに肯定する彼女らの会話に、じんわりと込み上げるものを感じた。

 

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作家・李良枝のこと

 

 温又柔の一連の小説を読んで、作家・李良枝のことを強く思った。在日コリアン2世。代表作は「由煕」。「国語」に居場所を持てない小さな魂の物語を何度も何度も語り直さなければ、片時も生きられないような小説家だった。1992年に、若くして亡くなった。



 国語と国語、日本語と韓国語のはざまで、「言葉の杖」を求めること。李良枝にとって最も切実なテーマを受け継ごうとする意志が、台湾生まれ・〈日本語育ち〉の作家、温又柔の作品にあると思う。文学の魂は、一人作家の死によって終わることなくこうして継承され、変奏され、川の流れのように未来に向けて滔々と流れてゆく。

 ところで、山梨の私の母方の親族が作家の家族と浅からぬ縁があったので、李良枝には特別な思い入れがある。母はいつも「よしえちゃん」と言っていた。その度に私は、「ヤンジだよ。イ・ヤンジって名前を選んだんだよ」と知ったかぶりを返していた。決して読書家ではない母は亡くなる少し前に、「よしえちゃんの本を持ってきて」と私に頼んで、懐かしそうに全集のページをめくっていた。その時は私も、「ヤンジだよ」などと言い返したりはしなかった。

 李良枝の小説も、久しぶりに読み返してみたい。「自分は日本にも帰り、韓国にも帰る」という彼女が残した言葉を、思い出した。