ASANOT BLOG

本、ローカル、考える時間。編集者・淺野卓夫(あさのたかお)の日記

寡黙な「読者」忘れない

 

2016年12月24日付「毎日新聞大阪版に寄稿したエッセイを再掲載します。 

 
さまざまな縁がつながって、私が瀬戸内の島に移住したのは、今から4年前のことだ。関東で編集者として仕事をしながら、出版業界が東京に一極集中して、地方の声を伝えられない現状に疑問を抱いていた。学生時代に人類学や民俗学を学び、文化の豊かさはその多様性によって担保されるという考えを持っていたので、業界の中心から遠く離れた地で文化を発信する仕事に取り組んでみたい、という思いに目覚めたのだ。

香川県の小豆島を拠点にして最初に出版したのが、黒島伝治の小説集「瀬戸内海のスケッチ」だった。黒島は、「二十四の瞳」の作家・壺井栄と同じ小豆島出身で、大正・昭和に活躍した知る人ぞ知るプロレタリア文学者。本書は、そんな作家が戦前の小豆島で貧しくとも懸命に生きる人々の姿を描いた作品群を中心に、10篇の短篇小説と随想をまとめたアンソロジーだ。作品のセレクトと解説は、京都の古書・善行堂の店主で文学エッセイストでもある山本善行さんにお願いした。かねてより交流のあった山本さんから、小豆島で本作りをするのなら、黒島伝治の小説を復刻してはどうか、と強く勧められていたのだ。

プロレタリア文学」などと聞くと、いかにも難解そうなイメージを抱かれるかもしれない。現代の読者に受け入れられるか不安だったが、杞憂に終わった。本書は、刊行後から文学ファンのあいだで好評を博し、新聞や雑誌などメディアでも紹介された。毎日新聞の読書面には、現代詩作家・荒川洋治さんの書評が大きく掲載された。「文章と構成の素晴らしさ。文学を知ることは、黒島伝治を知ることだ」。「瀬戸内海のスケッチ」でスタートした出版活動の船出を祝福してもらえたようで、ことのほか嬉しかった。

この書評が新聞に掲載された日、まっ先に山本善行さんに電話をかけた。山本さんは、荒川洋治さんの著作の熱心な読者でもあるから、「本当に光栄だなあ、ありがたい」と嬉しそうに繰り返していた。ところが山本さんは、私にこんなことも話してくれたのだった。

「でもね、マスコミの評判ばかりに目を向けてはいけない。本当に文学を愛する多くの読者は、都会ではない地方にひっそりと暮らしている、声をあげない人たちだと思う。まわりに文学を語り合う友がいない孤独の中で、小説を読み続ける人は必ずいる。そういう読者は、最後のページを閉じてネットに気の利いた感想のコメントを書き込むわけでもなく、『ああ、良かったな』と心の中で思うだけで本を棚にしまう。文学を目に見えないところで支えているのはこういう人たちなんだ。君は地方で出版活動をはじめたのだから、きっと身近にいる、寡黙な読者の存在を忘れてはいけないよ」

2015年に私はひとり出版社を卒業して、香川県の高松で発行するローカル雑誌「せとうち暮らし」の編集部ととともに、瀬戸内人という出版社を設立した。香川、徳島、愛媛、山口、広島、岡山、兵庫の「瀬戸内7県」をフィールドに、島々と沿岸の地に生きる人々のストーリーを、「せとうち暮らし」で伝えている。その編集にも関わりながら、文芸書や写真集、エッセイやノンフィクションの本を作っている。 

香川と兵庫を行き来しながら、今は瀬戸内を俯瞰する立場から仕事をしている。いついかなる場所で、どんな本や雑誌を作るときも、必ず思い出す。「寡黙な読者の存在を忘れてはいけないよ」。地方出版の編集者としての私がいつも立ち返る原点が、この山本善行さんの言葉だ。

 

 

瀬戸内海のスケッチ―黒島伝治作品集

瀬戸内海のスケッチ―黒島伝治作品集