ASANOT BLOG / アサノタカオの日誌

編集者。本、旅、考える時間。

歴史に抗する野生の移民文学

 

『すばる』2010年11月に寄稿した書評(松井太郎著、西成彦細川周平編『うつろ舟 ブラジル日本人作家・松井太郎小説選』)を再掲載します。


1917年生まれ、日本語で書く現役最長老級の小説家による初の作品集だ。ただし著者は「日本」文学の伝統に属する人ではない。戦前にブラジルへ渡り、孤立する日本語の寄留地で文学的才能を開花させた。ブラジル移民は、すでに百年の歴史を経ている。日本文学では純文学からハードボイルドまで、しばしば格好の対象とされた当の移民社会でも、彼らの歴史とともに独自の日本語文芸が小さく生きのびてきた。言うまでもなく移民一世の日本語の書き手は、年々減少の傾向にある。歴史の暮れ方にある通称「コロニア文学」の主流が、郷愁のトーンを基調とする自分史的なリアリズムであることは想像に難くない。だが松井太郎は、そうした主流に収まることを禁欲する例外的なコロニア文学の作家だ。

表題作の長編「うつろ舟」は、ブラジル南部を流れる大河を背景に、妻との不和から家族や同胞社会との絆を断った元「日本人」の魂のさすらいを語る、骨太な貴種流離譚だ。「マリオ」という通り名で辺境の貧しい牧夫や漁師に身をやつす主人公「おれ」は、日系の青年農場主としての過去を封印し、むきだしの性と性が、噴き出す血と血が見境なくまじりあう奥地の「土俗」へ浸透しつつ、なお己の命運を冷めたまなざしで凝視する。フォークナーの「ヨクナパトーファ・サーガ」を彷彿させる圧倒的な語りの力によって、まさに「日本人が「日本人」でなくなる臨界点」(本書の帯より)を執拗に描き出す。

尾鋏鳥(おばさみどり)の渡り、旱(ひでり)と野火、その後の川の氾濫……。冒頭から続く辺境の地をめぐる自然描写と主人公の内省的独白の巧みな綾織りが、読者を引き込む。さすらいの旅の途上、「おれ」とイタリア系の老人との会話から戦後の時代とかすかに推測されるが、物語の時を刻むのはブラジル移民史でも主人公の個人史でもない。日が昇り、沈む。乾季の後に雨季が来る。永遠回帰する南米の野生の無時間のなかで、生きとし生けるすべてのものが、地上に確かな存在の痕跡を残すことなくやがて腐蝕してゆく。

死を語ること、「日本なるもの」の死を目撃し語り続ける不穏な執念が、松井文学を駆り立てる。それは、大文字の歴史の余白を埋める少数者(マイノリティ)の証言というよりは、歴史から消える陰惨な「定め」を歴史に安住するものに突きつけ、歴史そのものに抗する野生の移民文学たらんとする。「百年の孤独」を文字通り耐えぬいた異形の日本語文学の凄みが、語りの芯から迫り出してくる。