ASANOT BLOG / 淺野卓夫の日誌

編集者。本、旅、考える時間。

君のものではない、世界の声に耳をすませろ 宮内勝典の文学

 

西子智さん編集のZine『ライフ 本とわたし』(2017年10月)に寄稿したエッセイを再掲載します。

 

f:id:asanotakao:20180413220303j:plain

https://life-hontowatashi.tumblr.com/

 

 右に行くべきか、左に行くべきか。前に進むべきか、後ろに退くべきか。人生の岐路に立たされた時、自分のなかをどれだけ探しても、答えとなる「ことば」が見つからないことがある。

 暗闇のなかで金縛りにあったように、足がすくんで一歩も踏み出せず、途方にくれる時がある。灯りは、どこにあるのか。

 

 「自分探し」という用語が、かつて流行した。90年代後半、日本社会に満たされない思いを抱えた多くの若者が、「本当の自分」を求めて海外旅行に出かけた。私も、そのような若者の一人だった。

 インドや東南アジアあたりを放浪したところでリアルな何かを見つけられるはずもない、とブームに冷ややかな目をむけつつも、時代の空気を潔く振り払うこともできないでいた。いまここに安住してしまうことへのどうしようもない苛立ちや焦りに、若い私の自我(エゴ)も膨らみきっていたのである。

 1998年5月、宮内勝典の小説『ぼくは始祖鳥になりたい』が刊行された。上下2巻、全編約600ページの大長編の旅の文学である。刊行直後、不思議なタイトルに惹かれて書店で手に取り、本を買ったその日に一晩かけて読み切った。

 『ぼくは始祖鳥になりたい』を読んでいる最中、「ことば」は外からやってきた。古代の石器のような硬質で野性的な小説言語によって、自意識は切り刻まれ、最後の一片まで打ち砕かれた。そして最後のページを閉じたときには、すっかり空っぽになった私のなかを、大いなる風が吹き抜けていくのを感じた。

 「君のものではない、世界の声に耳をすませろ」。それが、あのとき宮内勝典の文学から受け取ったメッセージである。そのメッセージは、いまの私にとっても、行方を照らす灯りであり続けている。

 

 『ぼくは始祖鳥になりたい』の主人公は、アリマ・ジロー。幼い頃にスプーン曲げの超能力でもてはやされたもののその能力を失い、しかし左前頭葉から特殊な電波を出しつづける日本人の少年である。アメリカ合衆国の地球外生命体探査計画にかかわる実験への参加をきっかけに、不思議な偶然に導かれるまま、南北アメリカ大陸をさすらうジローの遍歴の物語がはじまる。

 日系アメリカ人の女性、黒人とアイルランド系白人との混血児である宇宙飛行士、先住民の老シャーマンらとの出会いを経て、ニューヨークからアリゾナの砂漠へ、さらにネイティブ・アメリカンの野営地からゲリラ闘争が行われる中米の熱帯雨林へ。スケールの大きな冒険行が続く。

 旅を終えて、北米に帰還したジローは、最後、地球外生命体との交信を夢見る老天文学者の妄想じみた願いを受け入れる。そして砂漠の電波天文台の電極を頭皮に植え付けられ、メッセージを宇宙空間に発信しようとする。巨大アンテナにつながれたジローの意識に、遍歴の途上で出会い別れた人物たちの声のみならず、地球という惑星に満ちた声という声が一挙になだれこんでくる─。

 世界は、数式に還元される単に物理的なものとしてあるのか、それとも生きる上で意味ある出来事としてあるのか。

 究極の問いのはざまで、自我になだれこむ悲痛な叫びにも似た声たちを一身に背負い、そこに「意味」をあらしめようとするジロー。主人公である彼に宿る集合意識が、ここではないどこかへ祈るように呼びかけるラストシーンは、圧巻である。

 著者の宮内勝典は、1944年ハルビン生まれ。作家としては1979年に『南風』でデビューした。60年代と80年代にニューヨークに住み、これまでアメリカ、ヨーロッパ、中東、アフリカ、南米など60か国以上を巡り歩いている。

 「世界の果ての果てまで、切っ先まで見切りたい」。小説の主人公にそう語らせる作家の思想に大いに感化されて、学生時代の私は南米の国へと旅立った。ある文化人類学の調査プロジェクトに見習いとして参加して、2000年から3年間をすごした。そしてさまざまな日系移民の古老や混血のラテンアメリカ人を訪ね、かれらの旅の物語をひたすら聞き書きするという作業に没頭した。

 自分探しはしない。自分ではない誰かから託された声を記録し伝えること。このときの旅から学んだ経験が、のちに編集という仕事を選択することにつながった。

 2017年5月、宮内勝典の待望の新作『永遠の道は曲がりくねる』が刊行された。『金色の虎』をあいだにはさんで、アリマ・ジローの物語3部作の完結編である。『永遠の道は曲がりくねる』でジロー少年は青年・有馬となり、世界放浪の果てに沖縄の精神病院で働いている。沖縄戦において多くの命が犠牲になったとある洞窟(ガマ)から、戦争の世紀と言われる20世紀以降の、目を背けたくなるような人間の残酷と悲劇をたどる新たな旅の物語が動きだす。

 余計な解説を加えることは控えよう。正真正銘の文学でしか味わうことができない、善悪を超えたリアルに直接、触れてほしい。とくに現代社会のなかで生きづらさに悩み、信じるに足る「ことば」が見つからない不安を抱くすべての人たちに読んでほしい。

 

 「君のものではない、世界の声に耳をすませろ」。かつて『ぼくは始祖鳥になりたい』という小説から受け取ったこのメッセージこそ、エゴイズムに取り憑かれた時代から脱出するための希望である、と私は信じている。自国第一主義テロリズムポスト真実の政治や排外主義的なヘイトスピーチ。自己決定、自己責任、自分らしさ。私たちの意識がますます分断され閉塞してゆく時代の空気に抗うことができるのは、「外」へ目を見開かせる文学の力しかない。

 宮内勝典の文学という灯りがなければ、私は息のつまりそうな絶望にあふれるこの世界で前を向き、生きていくことはできなかった。

 

 本=宮内勝典『ぼくは始祖鳥になりたい』『永遠の道は曲がりくねる』