ASANOT BLOG / アサノタカオの日誌

編集者。本、旅、考える時間。

本の編集者としてのこの10年とこれからのこと

 

 

出版社・瀬戸内人退職のご挨拶

 

 2017年11月20日、私はFacebookに以下の投稿をしました。そのまま引用します。

 

 本日をもって株式会社 瀬戸内人(せとうちびと)を退職することになりました。
 お世話になった皆様お一人お一人に対して、本来ならば直接ご挨拶に伺いたいところですが、SNS上での報告となりすみません。
 私が香川県に移住したのが2012年4月。
 この間、瀬戸内をはじめ「ローカル」をテーマにしたさまざまな本作りをさせていただき、また小豆島ヘルシーランド株式会社の広報誌『Olive Sky』や季刊誌『せとうち暮らし』『せとうちスタイル』など、地域メディアの出版編集にかかわることができたのは、楽しくて得難い経験でした。
 瀬戸内で出会った仲間からは本当にいろいろなことを教えてもらい、暮らすことでわかったことがたくさんあります。
 これからも、『せとうちスタイル』をはじめとする瀬戸内人の出版メディア事業に、ぜひ注目してください。
 https://setouchibito.co.jp/
 
 皆様には大変お世話になり、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いいたします。

 

本の編集者としてのこの10年

 

 この機会に、香川県高松市の出版社・瀬戸内人を退職する以前のことを振り返ります。
 私がフリーランスの編集業と並行して、サウダージ・ブックスというひとり出版レーベルを立ち上げたのが、いまから10年前の2007年。32歳の時です。この年の11月、東京のギャラリーマキで開催された、レヴィ=ストロース+今福龍太 「ブラジルから遠く離れて 1935/2000」という写真展のパンフレットの編集制作が、最初の仕事でした。
 2007年以降の活動を年表としてまとめると、途中省略していることもありますが、以下のようになります。

 

2007年4月ごろ 神奈川県でフリーランスの編集業を開始

2007年11月 サウダージ・ブックスというひとり出版レーベルの活動を開始
2012年4月 香川県小豆郡に移住
2015年4月 香川県高松市で雑誌『せとうち暮らし』を発行する仲間とローカル出版社・株式会社 瀬戸内人を設立。同社の取締役編集者になり、サウダージ・ブックスの活動を休止
2017年11月 株式会社 瀬戸内人を退職

 

 そして、2017年末までの約10年間で、サウダージ・ブックス、瀬戸内人、フリーランスの編集者として編集した本のリストは以下の通りです。

 

サウダージ・ブックスの本
今福龍太編『ブラジルから遠く離れて 1935/2000』
飯沢耕太郎『石都奇譚集』
姜信子『はじまれ』
西川勝『「一人」のうらに』
黒島伝治『瀬戸内海のスケッチ』
河端孝幸『感謝からはじまる 漢方の教え』
どいちなつ『焚火かこんで ごはんかこんで』
ネルソン松原『生きるためのサッカー』
原民喜『幼年画』
宮脇慎太郎写真集『曙光』
大原治雄写真集『ブラジルの光、家族の風景』 

■瀬戸内人の本
地域デザイン学会誌『地域デザイン』No.1–10
原田保・北岡篤『吉野・大峯』(発行:空海舎)
漢方みず堂編『弁証論治による漢方方剤選定の手引き』(発行:空海舎)
谷敦志写真集『回帰するブラジル』
原民喜『[新版]幼年画』
長岡淳一・阿部岳『農業をデザインで変える』
長谷慈弘『心を省みる』
柳生忠平『モノノケマンダラ』
中村元・山内創『いただきますの水族館』
小豆島ヘルシーランド株式会社編『オリーヴのすごい力』

フリーランスで編集を担当した本
今福龍太『身体としての書物』(東京外国語大学出版会)
山口昌男『学問の春』(平凡社新書
岡村淳『忘れられない日本人移民』(港の人)
山戸貞夫『祝島のたたかい』(岩波書店
松本創『誰が「橋下徹」をつくったか』(140B)
西靖『聞き手・西靖、道なき道をおもしろく』(140B)
砂連尾理『老人ホームで生まれた〈とつとつダンス〉』(晶文社

 

 以上の37冊が、全国の書店や図書館で比較的手にとっていただきやすい、主な編集担当本といえます。ジャンルは、批評・評論、紀行・旅行記、日本文学、エッセイ、写真集、画集、医療・農業・水族館・介護関連の本、ノンフィクション、ジャーナリズムなど。その他にも、人文社会科学の専門書や学会誌、企業広報誌、リトルプレスの作品、雑誌連載の編集など、さまざまな仕事をしました。
 言うまでもなくどの1冊も思い出深い大切な作品ですが、サウダージ・ブックスの最後のタイトルである大原治雄写真集『ブラジルの光、家族の風景』は、全国巡回した写真展とともにテレビや新聞で紹介され、大きな反響をいただきました。
 瀬戸内人の本では、長岡淳一さんと阿部岳さんの共著『農業をデザインで変える』が現在3刷と版を重ね、ロングセラーになってほしいと願っています。
 フリーランスで編集を担当した作品では、松本創さんのノンフィクション『誰が「橋下徹」をつくったか』が、2016年の日本ジャーナリスト会議賞を受賞し、とてもうれしかったです。

 しかし、編集者としては、できたことよりもできなかったことの方がはるかに多い。この10年を振り返れば、反省、後悔、裏切らなければならなかった数々の人の顔を思い出し、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになります。

 

これからやるべきこと、ノンフィクションの編集から

 

 さて、サウダージ・ブックスの活動をはじめた2007年11月、10年後には編集者や出版者として一度立ち止って、次の10年の生き方や働き方を見つめ直そうと、あらかじめ決めていました。
 私にとっていまが、ちょうどその時期です。
 本の世界で、フリーランスの編集者、ひとり出版者、地方出版社の役員といろいろなことをやってきて、これまでできたこと、できなかったことを一つ一つ思い出しながら、しかし前を向いて「これからやるべきこと」を自分に問いかけています。

 これからやるべきことについて、私はこんなことを思っています。
 ここ数年、日本どころか世界中で、ヘイトスピーチに象徴される分断や排除の空気、弱者を切り捨てる論理が社会に蔓延する現実を前に、言論にかかわる人間として何ができるのか、ということを考え続けてきました。このような時代だからこそ、国と国、文化と文化、心と心の境界を越えた、その先にある風景に希望を感じられるようなメッセージを、積極的に世の中に発信すべきではないか。
 フェイクニュース歴史認識を歪めるデマ発言が平然と横行するメディアの状況にあって、表現者や書き手の責任と根拠、ある一つのテーマについて考えに考え抜いた時間に裏打ちされた、信頼に足る「ことば」を普及させる仕事に専念したい。

 「これからやるべきこと」というのがはたして本の編集なのか、自分でもまだよくわかりません。そもそも本ってなんだろう。編集ってなんだろう。

 とはいえ、私は不器用かつオールドファッションの人間なので、「ローカルメディアで地域を活性化させる」とか「関係性や場所やコミュニティを編集する」というようなキラキラした編集者像(?)に、すんなりと自分を重ね合わせることができません。
 なので、当面は出版関係の先輩や仲間のご縁や支援をいただきながら、10年以上経験を積んできた本の編集という仕事を通じて、自分なりの問題意識を地道に追求していきたいと思います。 

 年の瀬に、何人かの著者とともに、未来の作品について本質的なことだけを語り合う大切な時間を持ちました。
 自分が慣れ親しんだ世界の境界をこえて旅をする。他者の悲しみ、喜びにひとしく耳をすませる。誰かのとなりにいて、自分という存在を抜きにせず、この世界に生きることの切実さにまっすぐ向き合う。一人で、一人に応答する。好奇心をもって知らないことを知ろうとし、簡単に解決できない難しい問いについて考え、そして必死に考えぬいたことを表現する。
 幸いなことに私の近くには、伝えるべき「ことば」を持つそんな表現者や書き手が何人もいます。そして、かれらのことばをしっかり受け止めてくれるであろう真摯な読者の顔が、心のなかにいくつも浮かびます。

 2018年は、広い意味でノンフィクションの編集に集中します。ルポルタージュ、ジャーナリズムから人文社会科学まで。テーマは〈越境とケア、誰かのとなりへの旅〉。そして10年ぶりに関東に戻ります。
 自分の人生がどこに向かっているのかさっぱりわかりませんが、すべての道はどこかに通じることでしょう。

 ここから、新しい道をあるきはじめます。

 

 

歴史に抗する野生の移民文学

 

『すばる』2010年11月に寄稿した書評(松井太郎著、西成彦細川周平編『うつろ舟 ブラジル日本人作家・松井太郎小説選』)を再掲載します。


1917年生まれ、日本語で書く現役最長老級の小説家による初の作品集だ。ただし著者は「日本」文学の伝統に属する人ではない。戦前にブラジルへ渡り、孤立する日本語の寄留地で文学的才能を開花させた。ブラジル移民は、すでに百年の歴史を経ている。日本文学では純文学からハードボイルドまで、しばしば格好の対象とされた当の移民社会でも、彼らの歴史とともに独自の日本語文芸が小さく生きのびてきた。言うまでもなく移民一世の日本語の書き手は、年々減少の傾向にある。歴史の暮れ方にある通称「コロニア文学」の主流が、郷愁のトーンを基調とする自分史的なリアリズムであることは想像に難くない。だが松井太郎は、そうした主流に収まることを禁欲する例外的なコロニア文学の作家だ。

表題作の長編「うつろ舟」は、ブラジル南部を流れる大河を背景に、妻との不和から家族や同胞社会との絆を断った元「日本人」の魂のさすらいを語る、骨太な貴種流離譚だ。「マリオ」という通り名で辺境の貧しい牧夫や漁師に身をやつす主人公「おれ」は、日系の青年農場主としての過去を封印し、むきだしの性と性が、噴き出す血と血が見境なくまじりあう奥地の「土俗」へ浸透しつつ、なお己の命運を冷めたまなざしで凝視する。フォークナーの「ヨクナパトーファ・サーガ」を彷彿させる圧倒的な語りの力によって、まさに「日本人が「日本人」でなくなる臨界点」(本書の帯より)を執拗に描き出す。

尾鋏鳥(おばさみどり)の渡り、旱(ひでり)と野火、その後の川の氾濫……。冒頭から続く辺境の地をめぐる自然描写と主人公の内省的独白の巧みな綾織りが、読者を引き込む。さすらいの旅の途上、「おれ」とイタリア系の老人との会話から戦後の時代とかすかに推測されるが、物語の時を刻むのはブラジル移民史でも主人公の個人史でもない。日が昇り、沈む。乾季の後に雨季が来る。永遠回帰する南米の野生の無時間のなかで、生きとし生けるすべてのものが、地上に確かな存在の痕跡を残すことなくやがて腐蝕してゆく。

死を語ること、「日本なるもの」の死を目撃し語り続ける不穏な執念が、松井文学を駆り立てる。それは、大文字の歴史の余白を埋める少数者(マイノリティ)の証言というよりは、歴史から消える陰惨な「定め」を歴史に安住するものに突きつけ、歴史そのものに抗する野生の移民文学たらんとする。「百年の孤独」を文字通り耐えぬいた異形の日本語文学の凄みが、語りの芯から迫り出してくる。

 

寡黙な「読者」忘れない

 

2016年12月24日付「毎日新聞」大阪版に寄稿したエッセイを再掲載します。 

 
さまざまな縁がつながって、私が瀬戸内の島に移住したのは、今から4年前のことだ。関東で編集者として仕事をしながら、出版業界が東京に一極集中して、地方の声を伝えられない現状に疑問を抱いていた。学生時代に人類学や民俗学を学び、文化の豊かさはその多様性によって担保されるという考えを持っていたので、業界の中心から遠く離れた地で文化を発信する仕事に取り組んでみたい、という思いに目覚めたのだ。

香川県の小豆島を拠点にして最初に出版したのが、黒島伝治の小説集「瀬戸内海のスケッチ」だった。黒島は、「二十四の瞳」の作家・壺井栄と同じ小豆島出身で、大正・昭和に活躍した知る人ぞ知るプロレタリア文学者。本書は、そんな作家が戦前の小豆島で貧しくとも懸命に生きる人々の姿を描いた作品群を中心に、10篇の短篇小説と随想をまとめたアンソロジーだ。作品のセレクトと解説は、京都の古書・善行堂の店主で文学エッセイストでもある山本善行さんにお願いした。かねてより交流のあった山本さんから、小豆島で本作りをするのなら、黒島伝治の小説を復刻してはどうか、と強く勧められていたのだ。

プロレタリア文学」などと聞くと、いかにも難解そうなイメージを抱かれるかもしれない。現代の読者に受け入れられるか不安だったが、杞憂に終わった。本書は、刊行後から文学ファンのあいだで好評を博し、新聞や雑誌などメディアでも紹介された。毎日新聞の読書面には、現代詩作家・荒川洋治さんの書評が大きく掲載された。「文章と構成の素晴らしさ。文学を知ることは、黒島伝治を知ることだ」。「瀬戸内海のスケッチ」でスタートした出版活動の船出を祝福してもらえたようで、ことのほか嬉しかった。

この書評が新聞に掲載された日、まっ先に山本善行さんに電話をかけた。山本さんは、荒川洋治さんの著作の熱心な読者でもあるから、「本当に光栄だなあ、ありがたい」と嬉しそうに繰り返していた。ところが山本さんは、私にこんなことも話してくれたのだった。

「でもね、マスコミの評判ばかりに目を向けてはいけない。本当に文学を愛する多くの読者は、都会ではない地方にひっそりと暮らしている、声をあげない人たちだと思う。まわりに文学を語り合う友がいない孤独の中で、小説を読み続ける人は必ずいる。そういう読者は、最後のページを閉じてネットに気の利いた感想のコメントを書き込むわけでもなく、『ああ、良かったな』と心の中で思うだけで本を棚にしまう。文学を目に見えないところで支えているのはこういう人たちなんだ。君は地方で出版活動をはじめたのだから、きっと身近にいる、寡黙な読者の存在を忘れてはいけないよ」

2015年に私はひとり出版社を卒業して、香川県の高松で発行するローカル雑誌「せとうち暮らし」の編集部ととともに、瀬戸内人という出版社を設立した。香川、徳島、愛媛、山口、広島、岡山、兵庫の「瀬戸内7県」をフィールドに、島々と沿岸の地に生きる人々のストーリーを、「せとうち暮らし」で伝えている。その編集にも関わりながら、文芸書や写真集、エッセイやノンフィクションの本を作っている。 

香川と兵庫を行き来しながら、今は瀬戸内を俯瞰する立場から仕事をしている。いついかなる場所で、どんな本や雑誌を作るときも、必ず思い出す。「寡黙な読者の存在を忘れてはいけないよ」。地方出版の編集者としての私がいつも立ち返る原点が、この山本善行さんの言葉だ。

 

 

瀬戸内海のスケッチ―黒島伝治作品集

瀬戸内海のスケッチ―黒島伝治作品集

 

 

本当の自由とは何か

 

山と渓谷』2016年10月号に寄稿した書評「今月の一冊・『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』今福龍太著」を再掲載します。

 

森に吹く「自由」の風が、不思議な親しさをもって、読書に集中する額をなでていく。本を介して野の道を逍遥する者の心に、ハックルベリーの実の甘酸っぱさが、スカーレットオークの美しい葉の形が、マガモが沼地を飛び立つ音が、何かを語りかけてくる。  

森の主はヘンリー・デイヴィッド・ソロー。一九世紀アメリカ東部出身の思想家。コンコードの町外れにあるウォールデン湖畔に丸太小屋を建て、二年の自給自足の生活を送った。その暮らしの記録と省察をまとめた名著『ウォールデン 森の生活』で知られる。  

『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』の著者は、『ジェロニモたちの方舟』(岩波書店)等で独創的なアメリカ論を展開する批評家・人類学者の今福龍太。本書は、そんな著者が『ウォールデン』をはじめとするソローの著作と膨大な日記を丹念に読み解き、その思想と人生に迫る一二篇のエッセイを集めた評伝である。

なぜいま、ソローを読み返す必要があるのか。著者は、このような言葉で読者を知の森へ誘う。

鬱蒼たる樹林のなかを遊歩しながらふと立ちどまり、静寂のなかで足下のかすかな流れの音に気づいたら、苔むした地面に細々と湧き出る清冽な水を掌にすくい取り、一口味わってみる……ソローの著作を読むことは、知性の森を逍遥しながら、この清冽で慎ましい水を飲むことに等しい 。 

森のなかで湧き水を手にすくって飲むように、「経験」から教えを授かろうとすること。「私は別種の学校において自分の教育を成し遂げたいのです」というソローの言葉を引きながら、著者は、慎ましい意志をもって「自然のなかにおかれた自らの真実」を学び直そうとする者のための場を、「野生の学舎」と名づける。  

俗世間からの隠遁をすすめるわけではない。ソローが森を歩くのは、自然観察と哲学的内省によって人間社会を問い直すためだった、と著者は説く。  

急激な産業化の時代を背景にアメリカ国家が行う非道な戦争や奴隷制を、ソローは厳しく批判した。だが知識人のサロンや市民運動に群がることなく、霧の漂う森をひたすら歩いた。そして文明の危機にあって、人間にとって本当の自由とは何かを考えるための手がかりを、たった一人で探しつづけた。野鳥の尾羽を拾い、先住民の矢尻を掘り出し、切り株の年輪を指でなぞって数えながら。

ソローは言う。「私は豆畑を抜け出すようにして政治の世界を抜け出すと、森のなかに入ってゆく」  

湖畔の森におけるソローの繊細な思考の道筋を、著者はこう敷衍する。

ハックルベリーを求めて歩き出すこと。それは、政治を徹底的に相対化し、無化し、そのうえでふたたび人間と社会の関係について原点から思考するための、反時代的にして、もっともいま求められる行為にほかならない。  

ソローの野生と自由の哲学を現代に受け継ごうとする著者の強い意志、そして森を歩くその孤独の喜びを分かちあおうという知的な共感——本書全体を流れるこの深い「親しさ」に、感動を覚える。

ソロー独自の自然の本性に基づく憲法観を論じた章「より高次の法」は、ソローがそうであるように決然としている。哲学者ブロンソン・オルコットとの静かな友情を語る章「たったひとりの共同体」は、彼らがそうであったように高潔で美しい。

本書は、野生の学舎の最前列で学び、ヘンリー・ソローの精神の兄弟になった著者からの、すばらしい知と良心の贈り物である。 

さあ、ふさわしい時がやってきた。季節の変り目、森の木々のはざまを俊敏に動き回る霧を追いかけて、私たちもソローの精神とともに逍遥の径に踏み出そう。

 

詩と夜空にかがやくもの

 

小学校から帰ってきた幼いむすめが、しょんぼりしている。何ごとかと思って聞いてみいても、なかなか答えない。親としてはとても気になるけれど、まあ、そんな日もあるだろう。

実を言えば、ぼくもひどく落ち込んでいたのだった。

冬の星座でも見にいこうか、とむすめを誘って夜のドライブに出かけた。まっ暗な坂道を走り、島の山の頂上をめざす。車を降りると、つめたい海風がびゅうっと吹きつけてきて、やはりさむい。

展望台にあがり、瀬戸内に浮かぶ島々の影や、遠くで輝く町あかりをながめる。きれいだ。

となりの島のずっとむこう、あれは姫路かな、まさか神戸じゃないよね。貨物船やフェリーが、一隻、二隻、音もなく海上を横切っていく。

そして、みあげれば満天の星。さえざえとした月明かりが美しい、そんな夜だった。

ぼくらは星と星をむすび、星を数えた。山のてっぺんで、夜空にかがやくものとぼくらをさえぎるものは、何一つない。

ぼくとむすめ、ほとんど言葉はかわさない。

数日前、尊敬していた詩人の訃報が、島に届いたのだった。

はるか南の群島の方言を舌にのせて、歌うように書く詩人だった。いつか詩の本つくりましょうよ、と約束していた。会う時はいつも、ヨットを愛するやさしい海の男の顔をしていたけれど、かれは正真正銘の「闘う詩人」だった。

1971年10月19日の「沖縄国会」冒頭、佐藤栄作首相の所信表明演説の最中に、「沖縄返還粉砕!」を叫んで逮捕。

法廷で、八重山方言での陳述をつらぬき、「日本語を話しなさい!」と叱りつける裁判官に「通訳」を要求。

 

あめにうたれて なきぬれて

とうりんじに あまやどり

するうち そのうち におうさんが

みんたまぴからし くんじょうくれぇおおったそんが

あれはいつのことだったかと ゆあみぶし

きざるきざるの きむぐりしゃ

なんかなんかの なぐりしゃ

あっつぁ あすとぅぬや そうろんやそんが

わあや くとすんくらるむばあ という

ははのでんわも ほそぼそくもり

おやのこころ こしらず は

めぐりめぐって ちゅんじゅんながれ

ちほうのおやは このかおわすれ

このかおは しだいに おやににてくる

ねんぶつおどりの よるの とおりあめ

——真久田正「夜雨」

 

月と星の光は、メランコリーの最高の友だちだ。

すべてをあかるみにさらす太陽とちがって、暗がりのなかで膝を抱えるように、多くを語りたくない日の孤独によりそってくれる。

冷たくかじかんだむすめの手をぎゅっとつかんで、ぼくは、雨のようにふりそそぐ白い光を黙ってあびている。黒々とした茂みから飛び立った大きな鳥が、夜空をはばたいていくのを、二人きりで見つめている——。

なんだか、たまらなくさびしいこの場所で、詩を読む目と耳が、そっとひらかれていくような気がした。

 

はるかなみらいの とほうもない ゆめをみながら

かたくなに いきていくのは 

もう ちと こころぼそい

せめて このよの ひとのなごみを

やわやわとすでる かぜになりたい

——真久田正「NOTICE(ウンチケー)」より

 

books.mangroove.jp