ASANOT BLOG / アサノタカオの日誌

編集者。本、旅、考える時間。

歴史を問い、社会を問い、時代を問う小さな声

 

K-BOOK 読書ガイド『ちぇっく CHECK』Vol. 6 に寄稿したエッセイを再掲載します。

 

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http://k-book.org/checkcheck/checkvol6/

 

 韓国の詩が心に住みついたのはいつからだろう? ハングルの読み書きができるわけでもないのに、日本語訳や、ときには英訳にまで遠回りしてとなりの国の詩を知りたいと願う自分がいる。

 

 僕たちもまた、飛び立つことができるなら
 この世界のむこうにあるどこかへ
 ガアガア鳴いて じゃれあって 一列に並んで
 僕たちの世界を運んでこの世界を去るのだ

 

 私が愛読するファン・ジウ(1952年〜)の詩「Even Birds Leave the World(鳥たちさえこの世界から飛び立つ)」。韓国の「社会参与派」の詩人による、1983年の第一詩集の表題作だ。ファン・ジウは学生時代に民主化運動に関わり、兵役を終えた後、1980年に起こった光州民主化抗争の真相究明デモに参加し、逮捕された経歴を持つ。この詩で渡り鳥のイメージに託される自由への願いは、軍事政権時代の韓国社会の抑圧的な空気を背景にしている。

 さて、多くの日本の読者がそうであるように、私もまた尹東柱(1917〜1945年)の『空と風と星と詩』から韓国詩の扉を開いた。これまで数々の翻訳者によって紹介されているが、在日の詩人・金時鐘によっても重みある日本語に訳されている。植民地統治時代、尹東柱は留学先の京都で独立運動へ関与した容疑で逮捕され、1945年、27歳で獄死した。彼が母語朝鮮語で書き遺したのは、決して政治的な抵抗の主張ではない。流浪の人生を生きるさびしさの裏で打ち震えるやさしさ、それをうたう「小さな声」としての詩のことばだった。

 小さな声。しかしそれは、個人の心情や内面に自閉するものではなかった。前に進むことしか知らない歴史や社会の波に押し流され、崩れ落ち、忘れ去られてしまうものたち。政治や経済の力が先頭で号令をかける時代にたったひとりで逆行し、記憶のかけらを拾いあつめて叙事と抒情につなぎとめ、未来に伝える。日本語(や英語)に流れこんだ韓国文学の水脈をたどるなかで、そのような使命に突き動かされた一連の詩人たちの系譜があることを私は知った。

 現在、済州島の詩人でジャーナリストでもあるホ・ヨンソン(1957年〜)の第三詩集『海人たち』の日本語版の編集を進めている。この本は、植民地統治下の島の海女たちによる出稼ぎ、抗日闘争、解放後の済州島4・3事件の歴史と記憶をテーマにした作品で構成されている。

 韓国の文学界では高い評価を得ているというが、日本語読者の心にどう届ければよいか。近年の台湾、韓国、香港では、大国と権威の論理に抗い、自由と自律を求める民衆の声が地を揺らしている。一方で、日本はどうか。この詩集が熱心に読まれる文脈は、今どこにあるのか。小さな「個」の側に立ち、歴史を問い、社会を問い、時代を問うことばを求めてきた自身の読書体験を振り返りつつ、思案している最中だ。

 

*ホ・ヨンソン詩集『海女たち——愛を抱かずしてどうして海に入られようか』の日本語版は、2020年3月、姜信子・趙倫子の共訳により新泉社から刊行されました。