ASANOT BLOG / アサノタカオの日誌

編集者。本、旅、考える時間。

植本一子の3冊の本

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 「コインランドリーに行き、一人になったとき、泣きそうになった。本当に、これからどうなるのだろう。乾燥機にかけているあいだにスーパーへ行くが、何を買えばいいのかがよくわからない。帰り道に銀杏の匂いを感じて、また辛くなった。この秋と去年の秋は同じはずなのに、全然違う。見るもの聞くもの、全部違う。どこかでずっと同じだと思っていた。毎年同じように暮らすのだと思っていた」

−−植本一子『家族最後の日』

 

1

 作家や文筆家と呼ばれるのが苦手だそうだが、私にとっては書くべくして書いている「作家」でしかないのが、植本一子さんだ。写真家でもある彼女の『家族最後の日』(太田出版、2017)という真っ赤な本の中に、こんな記述がある。

『かなわない』を読んで『人間の大地』を思い出した、という話をされ、ずっと読もうと思っていたもの。淺野さんのあのときの話がとてもよかったのだが、不思議とよかったという輪郭しか思い出せない。

 二人でおしゃべりした「あのときの話」がよかったかどうかはわからないが、そこで植本さんに伝えたかったことを2年後のいま、もう一度振り返って考えてみたい。

 

2

 この機会に、『かなわない』(タバブックス、2016)、『家族最後の日』、『降伏の記録』(河出書房新社、2017)という植本一子さんの3部作をあらためて読み直してみた。

私が撮った写真が遺影になったことが2度ある。

 『かなわない』の巻頭に収録された作品「遺影」は、何度読んでも出だしから震えるものを感じる。忘れがたい魅力がある。

 植本さんの作品については、「写真家・植本一子が書かずにはいられなかった、結婚、家族、母、生きづらさ、愛。すべての期待を裏切る一大叙情詩」、「母との絶縁、義弟の自殺、夫の癌―写真家・植本一子が生きた、懸命な日常の記録」などと出版社によって紹介されている。

 一種の日記文学であるどの著作でも、語り手である植本さん、すなわち「私」は感情の暴風雨に巻き込まれていて、立っていられないほど揺れる人間関係の網目の上で身動きもできない。

 しかしここで、不思議なことが起こっている。

 遭難状態にある「私」の人生体験から生み出された言葉は、「私だけを見て」という自己閉塞におちいることなく、他の誰かの苦しみや悲しみに開かれているのだ。

 

3

 私がはじめて『かなわない』を読んでいる時、ちょうど作家サン=テグジュペリの散文作品『人間の大地』がそばにあった。

 飛行機乗りでもある作家はサハラ砂漠に墜落して不時着し、火を焚き何日も渇きに耐え、死に直面しながらなおこう叫ぶのだった。少し長いが引用する。

そうだ、そうなのだ。耐え難いのはじつはこれだ。待っていてくれる、あの数々の目が見えるたび、ぼくは火傷のような痛さを感じる。すぐさま起き上がってまっしぐらに前方へ走りだしたい衝動に駆られる。彼方(むこう)で人々が助けてくれと叫んでいるのだ、人々が難破しかけているのだ。

 この多くの難破を前にして、ぼくは腕をこまねいてはいられない! 沈黙の一秒一秒が、ぼくの愛する人々を、少しずつ虐殺してゆく。はげしい憤怒が、ぼくの中に動き出す、何だというので、沈みかけている人々を助けに、まにあううちに駆けつける邪魔をするさまざまの鎖が、こうまで多くあるのか? なぜぼくらの焚火が、ぼくらの叫びを、世界の果てまで伝えてくれないのか? 我慢しろ……ぼくらが駆けつけてやる!……ぼくらのほうから駆けつけてやる! ぼくらこそは救援隊だ! 

 

4

 『人間の大地』のこの場面を読んで、まっさきに救われなければならない瀕死の遭難者が、自分ではない誰かが世界のどこかで生き延びることを必死に願いつづけるという「途方もなさ」に驚いた記憶があった。

 文学にはこういう人間の真実を表現できる力があるのか、と。

 そして植本さんの作品を読んでいる間、同じタイプの「途方もなさ」が、波のようにこちらへ押し寄せるのを感じたのだった。

 それは、彼女にしか書けない文体の力によるものだろう。手放したくても簡単には捨てることも失うこともできない人間関係を、書くことで必死に生きなおす嘘のない言葉が、読者の人生に応えるのだ。

 共感も共苦もしがたい他ならぬ「私」のつぶやきが、遠く離れた困難の渦中にある生きることの切実さにまっすぐ届く。目の前にある世界が真っ暗な闇にしか感じられないほど、孤独や絶望に押しつぶされている人の行方を照らす灯りになる。

 植本さんの書く作品には、そんな不思議な言葉の力がある。

 

5

 一番新しい作品『降伏の記録』で、装丁家鈴木成一さんが失意の植本さんを励ます場面があるが、私も一字一句、同じことを思う。

 とにかく植本は、書いて書いて書きまくれ。それに救われている人が沢山いる。迷惑かけて生きていけ。

 上から目線で恐縮だが、植本さんの作品を読んでいて、とにかく文章がうまいと感心するのだ。例えば、ふいに訪れる凪のような感慨を記す、『降伏の記録』のこんな文章。

 言葉が通じなくても、いつも静かに見守ってくれていた自然。それに昨日気づくことができて良かった。あの田舎の風も、きっとこの東京に吹いている。死んでしまった人たちも、目に見えないだけで、きっといつまでもそばにいる。見えないけれどそこにある、風と同じようなものだろう。

 あるいは、3部作ではないが、ECDとの共著『ホームシック』(ちくま文庫、2017)所収の「ビギナーズラック」に、私がなんども読み返す大好きな文章がある。

タクシーが角を曲がって、とうとう姿が見えなくなった。切り離されてしまった先生と私。そして私と娘。娘の小さな手を握って、タクシーに乗っていた。まぶしい冬の光の中、大きな一本道を走る。十分も走ればいつもの家に着く。でも私は、もっと違う場所へ行くのだと思った。想像もできない場所へ。

 植本さんの作品の随所で、「うまい」という以上の何かが不思議とクールな観察者的文体を形作っていて、それが火傷しそうに熱い内容を鎮めている。個人的にはそこに強く惹かれる。これは、写真家=見る人に独特の文体なのだろうか。

 

6

 『かなわない』をはじめとする植本さんの作品は、痛々しい私情をさらけ出す自己愛的な身辺雑記とはまったく違う。

 そもそも彼女が書いているのは「私のこと」というよりも「人のこと」だ。ひとたびページを開けば、そこに記されるのは「重要な他者」たちの列伝だということはすぐにわかる(「重要な他者」というのは『降伏の記録』の鍵言葉)。

 母のこと、義弟のこと、夫のこと。娘たちのこと、友人のこと、仕事仲間のこと。もう一度会いたい人、二度と会いたくない人。かれらの面影と対話を続け、省察する。 

 「私」は家事をしても買い物をしても何事にもよく手を動かす人で、摘んだ途端にいのちが弱くなる野花を枯れないうちに一輪一輪本に挟んで押し花にするような、気になるものごとにはこだわらずにはいられない几帳面さがある。

 作品の中で右往左往する植本さんの姿を見ていると、まるで地理測量士博物学者のように、家族とその周辺というフィールド、そして他者と自分との間に引かれた目に見えないボーダー(国境線)を丹念に調査しているような印象を受けるのだ。

 「私」の心に刻まれた引っ掻き傷でもあるそれら複数のボーダーの長さや深度、交わりの具合を淡々と測りながら、向こう側にいる人との関係の意味を何度も問い直し、お互いに壁を築いたり壊したりし、境界を越え、越えられることで変化する感情生活の断片を一つ一つ記録していく。

 

7

 先ほど書いたことを繰り返すが、手放したくても簡単には捨てることも失うこともできない人間関係を、書くことで必死に生きなおす嘘のない言葉が、読者の人生に応えるのだろう。

 その言葉の力によって、誰かに理解される必要もない個人的な日常が、誰にとっても他人事ではない普遍的な世界に反転する。『かなわない』『家族最後の日』『降伏の記録』の3部作を、私は掛け値無しに日本語で書かれた世界文学だと考えている。

 植本さんの作品を読むことで、私はいま、私自身の人間関係を必死に生きなおし、私自身の心に刻まれたボーダーの手前で遠い声に耳をすませている。

  「私」というボーダーランズの風景のなかで、誰のものともわからないその声に思いがけず揺さぶられることで記憶の蓋が開かれ、普段は見ないことにしている感情の所在にふと気づかされる。

 そして、あまりにも当たり前すぎて忘れてしまっている、誰かとともに生きてきたこと、誰かとともに生きていくことの確かな実感を、ある痛みとともに思い出すのだ。

 

 たった一人で植本さんの本を読む私もまた、彼女の言葉に救われている。

 

木村友祐の小説『イサの氾濫』ほか

 

『イサの氾濫』

 

 木村友祐の小説『イサの氾濫』(未來社、2016)を読んだ。期待を裏切らない、素晴らしい小説だった。私自身が生きる今という時代に必要な文学の力を感動とともに噛み締めている。

 歴史が実証するものに学び、それを未来に伝えることは、今という時代を生きる者の責任だろう。しかし文字に記録される歴史の外には、文字に記録されなかった声なき声の広大な世界がある。それをなかったことにすることもできない。

 生きることの困難に直面し、悩み苦しみ、思いを深め、自分のことばで必死に考え抜いたことを、誰かに知ってほしいと願いながら歴史の舞台からはかなく消えた無数の声たち。そして声にすらならない叫び、歯ぎしり、ため息。

 歴史学とは別の倫理に突き動かされる「想像」の力によって、これら声なき声にじっと耳を傾け、沈黙に新しい声を与えるのが文学や芸術の一つの役割だった。

 木村友祐の小説『イサの氾濫』は、そのような意味での正真正銘の文学だ。

 東日本大震災後の青森・八戸が物語の舞台で、東京から帰郷した小説家の男が語り手。親族の変わり者で、生きづらさを抱えたまま放蕩を繰り返し、傷害罪など前科を重ねた行方知れずの叔父・イサの記憶を男がたずねる。
この主人公の男もまた、東京での仕事や人間関係が思い通りにならず、ある種の生きづらさを抱えていた。

 故郷・八戸での同窓会で直面した失意の出来事をきっかけに男の記憶の蓋が開かれ、忘却という名の暴力に抗うイサの叫びが、東北のまつろわぬものたちの叫びが、堰を切ったように意識の内側からあふれ出す…。

 『イサの氾濫』を読み終えて、いまも心が震え続けている。

 吹く風に身をさらすことで、はじめて自分の存在を強く感じることがあるだろう。この小説から、まぎれもない東北の風が吹いてきた。それは荒ぶるイサの怒声のように、匂いがあり湿り気を帯びた重みのある風で、激しい音を立ててかたわらを吹き抜けていく。


 ずしんと体に響く物語の風の重みに耐えることで、ようやく気づいた震災後を生きる私なりのリアリティがあった。長い間、どこかでそれを語ることを避けてきた。しかしこの小説を読むことで自分自身の中にある暗い穴、その奥底で押し黙っていた声の存在を直視する勇気をもらった気がする。

 木村友祐の小説『イサの氾濫』は、原爆投下直後の広島の惨状を描き切った原民喜「鎮魂歌」のように「失われゆく声の復活」に挑む強い意志に貫かれた文学だ。と同時にそこには、生きることのさびしさに裏打ちされたやさしさも漂っていて胸を打つ。

 一人でも多くの人に読んでほしいと思う。

 表題作のほか「埋み火」という作品もいい。版元の未來社は小説を多く出している出版社ではない。文芸誌に掲載されたまま、埋もれかけていた表題の作品が、文芸批評家や編集者など理解ある人の縁がつながって書物として生まれ変わり、未來社から刊行されたという。このような出版の経緯も、興味深い。


 

『幸福な水夫』

 

 同じ出版社から新たに刊行された木村友祐の最新作『幸福な水夫』(未來社、2017)もつづけて読んだ。内容はもちろん、ブックデザインも秀逸だ。半身不随の老父と息子たちが下北半島を旅するロードムービー風の小説「幸福な水夫」が、とりわけ心に残る。

 所収のエッセイで、「震災前と震災後では、ぼくの書き方はガラリと変わってしまった」と作家は書いている。私自身の読み方も、ガラリと変わってしまったのだろう。文学を読み、今も持続する心の震えを確かめることで、はじめて開かれる目や耳がある。 

 『イサの氾濫』と同じようにこの本が、そのことを気づかせてくれた。

 

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『野良ビトたちの燃え上がる肖像』

 

 そして、小説『野良ビトたちの燃え上がる肖像』(新潮社、2016)。東京五輪を思わせるメガ・スポーツイベントを控える近未来の日本、河川敷に暮らす野宿者や猫たちの社会を舞台にした長編だ。

 これは、「小説家の使命とは何か」を深く考えさせられる驚くべき傑作だった。

 空き缶を集めて換金し廃材を使って自作した小屋で生活する野宿者・柳さんの取材をしていた雑誌記者だったのだが、失職して同じ野宿者になった木下。小説の一登場人物であるこの木下が、物語の途中で「ぼく」として登場する。唐突な語りの人称の変化に驚いたが、決して奇をてらったものではなく、最後の場面を読めば、絶望を希望に反転させる必然の方法だと深く納得する。

 現実を唯一の現実として捏造しようとする国家や資本の力がある。その力にねじ伏せられた市民社会が見て見ぬふりをし、なかったことにしようとする「もう一つの現実」が河川敷にはある。

 いつからか、「野良ビト(ホームレス)に缶を与えないでください」という看板が対岸の住宅街に立てられるようになる。野宿者の目の前にまで押し寄せる不穏な力によって「もう一つの現実」が完全に浄化されようとする。

 その前に、社会のフレームの外に排除された声なき声、目に見えない小さな存在、ありえたかもしれない人生を想像の力によって収集すること。

 そしてフィクションの形式で語ることを通じて、「もう一つの現実」を生きられた世界として再創造すること。

 「ここで見たこと、いつか書いてくれよ」と託された木下=ぼくは、社会に蔓延する排除と分断の力に抗して記憶の人になる。そして、彼は小説を書きはじめる。柳さん、リハド、三村親子とサクラのことを。暴漢によって襲撃され火を放たれた河川敷の風景の中で、生き延びるために疾走するかれらの最後の姿を。

 この長編小説から問いかけられる何かについて、私はさらに長い人生の時間をかけて考え続けることになるだろう。

 

 『聖地Cs』(新潮社、2014)を含め、数週間のあいだに小説家・木村友祐の近作を一気にまとめ読みした。もともとは、葉山のbookshop kasper で『イサの氾濫』をすすめられて読んだのがきっかけだった。一生ものの真の読書に値する文学との出会いは、こんな風にして小さな本屋さんからはじまる。

 

本の編集者としてのこの10年とこれからのこと

 

 

出版社・瀬戸内人退職のご挨拶

 

 2017年11月20日、私はFacebookに以下の投稿をしました。そのまま引用します。

 

 本日をもって株式会社 瀬戸内人(せとうちびと)を退職することになりました。
 お世話になった皆様お一人お一人に対して、本来ならば直接ご挨拶に伺いたいところですが、SNS上での報告となりすみません。
 私が香川県に移住したのが2012年4月。
 この間、瀬戸内をはじめ「ローカル」をテーマにしたさまざまな本作りをさせていただき、また小豆島ヘルシーランド株式会社の広報誌『Olive Sky』や季刊誌『せとうち暮らし』『せとうちスタイル』など、地域メディアの出版編集にかかわることができたのは、楽しくて得難い経験でした。
 瀬戸内で出会った仲間からは本当にいろいろなことを教えてもらい、暮らすことでわかったことがたくさんあります。
 これからも、『せとうちスタイル』をはじめとする瀬戸内人の出版メディア事業に、ぜひ注目してください。
 https://setouchibito.co.jp/
 
 皆様には大変お世話になり、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いいたします。

 

本の編集者としてのこの10年

 

 この機会に、香川県高松市の出版社・瀬戸内人を退職する以前のことを振り返ります。
 私がフリーランスの編集業と並行して、サウダージ・ブックスというひとり出版レーベルを立ち上げたのが、いまから10年前の2007年。32歳の時です。この年の11月、東京のギャラリーマキで開催された、レヴィ=ストロース+今福龍太 「ブラジルから遠く離れて 1935/2000」という写真展のパンフレットの編集制作が、最初の仕事でした。
 2007年以降の活動を年表としてまとめると、途中省略していることもありますが、以下のようになります。

 

2007年4月ごろ 神奈川県でフリーランスの編集業を開始

2007年11月 サウダージ・ブックスというひとり出版レーベルの活動を開始
2012年4月 香川県小豆郡に移住
2015年4月 香川県高松市で雑誌『せとうち暮らし』を発行する仲間とローカル出版社・株式会社 瀬戸内人を設立。同社の取締役編集者になり、サウダージ・ブックスの活動を休止
2017年11月 株式会社 瀬戸内人を退職

 

 そして、2017年末までの約10年間で、サウダージ・ブックス、瀬戸内人、フリーランスの編集者として編集した本のリストは以下の通りです。

 

サウダージ・ブックスの本
今福龍太編『ブラジルから遠く離れて 1935/2000』
飯沢耕太郎『石都奇譚集』
姜信子『はじまれ』
西川勝『「一人」のうらに』
黒島伝治『瀬戸内海のスケッチ』
河端孝幸『感謝からはじまる 漢方の教え』
どいちなつ『焚火かこんで ごはんかこんで』
ネルソン松原『生きるためのサッカー』
原民喜『幼年画』
宮脇慎太郎写真集『曙光』
大原治雄写真集『ブラジルの光、家族の風景』 

■瀬戸内人の本
地域デザイン学会誌『地域デザイン』No.1–10
原田保・北岡篤『吉野・大峯』(発行:空海舎)
漢方みず堂編『弁証論治による漢方方剤選定の手引き』(発行:空海舎)
谷敦志写真集『回帰するブラジル』
原民喜『[新版]幼年画』
長岡淳一・阿部岳『農業をデザインで変える』
長谷慈弘『心を省みる』
柳生忠平『モノノケマンダラ』
中村元・山内創『いただきますの水族館』
小豆島ヘルシーランド株式会社編『オリーヴのすごい力』

フリーランスで編集を担当した本
今福龍太『身体としての書物』(東京外国語大学出版会)
山口昌男『学問の春』(平凡社新書
岡村淳『忘れられない日本人移民』(港の人)
山戸貞夫『祝島のたたかい』(岩波書店
松本創『誰が「橋下徹」をつくったか』(140B)
西靖『聞き手・西靖、道なき道をおもしろく』(140B)
砂連尾理『老人ホームで生まれた〈とつとつダンス〉』(晶文社

 

 以上の37冊が、全国の書店や図書館で比較的手にとっていただきやすい、主な編集担当本といえます。ジャンルは、批評・評論、紀行・旅行記、日本文学、エッセイ、写真集、画集、医療・農業・水族館・介護関連の本、ノンフィクション、ジャーナリズムなど。その他にも、人文社会科学の専門書や学会誌、企業広報誌、リトルプレスの作品、雑誌連載の編集など、さまざまな仕事をしました。
 言うまでもなくどの1冊も思い出深い大切な作品ですが、サウダージ・ブックスの最後のタイトルである大原治雄写真集『ブラジルの光、家族の風景』は、全国巡回した写真展とともにテレビや新聞で紹介され、大きな反響をいただきました。
 瀬戸内人の本では、長岡淳一さんと阿部岳さんの共著『農業をデザインで変える』が現在3刷と版を重ね、ロングセラーになってほしいと願っています。
 フリーランスで編集を担当した作品では、松本創さんのノンフィクション『誰が「橋下徹」をつくったか』が、2016年の日本ジャーナリスト会議賞を受賞し、とてもうれしかったです。

 しかし、編集者としては、できたことよりもできなかったことの方がはるかに多い。この10年を振り返れば、反省、後悔、裏切らなければならなかった数々の人の顔を思い出し、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになります。

 

これからやるべきこと、ノンフィクションの編集から

 

 さて、サウダージ・ブックスの活動をはじめた2007年11月、10年後には編集者や出版者として一度立ち止って、次の10年の生き方や働き方を見つめ直そうと、あらかじめ決めていました。
 私にとっていまが、ちょうどその時期です。
 本の世界で、フリーランスの編集者、ひとり出版者、地方出版社の役員といろいろなことをやってきて、これまでできたこと、できなかったことを一つ一つ思い出しながら、しかし前を向いて「これからやるべきこと」を自分に問いかけています。

 これからやるべきことについて、私はこんなことを思っています。
 ここ数年、日本どころか世界中で、ヘイトスピーチに象徴される分断や排除の空気、弱者を切り捨てる論理が社会に蔓延する現実を前に、言論にかかわる人間として何ができるのか、ということを考え続けてきました。このような時代だからこそ、国と国、文化と文化、心と心の境界を越えた、その先にある風景に希望を感じられるようなメッセージを、積極的に世の中に発信すべきではないか。
 フェイクニュース歴史認識を歪めるデマ発言が平然と横行するメディアの状況にあって、表現者や書き手の責任と根拠、ある一つのテーマについて考えに考え抜いた時間に裏打ちされた、信頼に足る「ことば」を普及させる仕事に専念したい。

 「これからやるべきこと」というのがはたして本の編集なのか、自分でもまだよくわかりません。そもそも本ってなんだろう。編集ってなんだろう。

 とはいえ、私は不器用かつオールドファッションの人間なので、「ローカルメディアで地域を活性化させる」とか「関係性や場所やコミュニティを編集する」というようなキラキラした編集者像(?)に、すんなりと自分を重ね合わせることができません。
 なので、当面は出版関係の先輩や仲間のご縁や支援をいただきながら、10年以上経験を積んできた本の編集という仕事を通じて、自分なりの問題意識を地道に追求していきたいと思います。 

 年の瀬に、何人かの著者とともに、未来の作品について本質的なことだけを語り合う大切な時間を持ちました。
 自分が慣れ親しんだ世界の境界をこえて旅をする。他者の悲しみ、喜びにひとしく耳をすませる。誰かのとなりにいて、自分という存在を抜きにせず、この世界に生きることの切実さにまっすぐ向き合う。一人で、一人に応答する。好奇心をもって知らないことを知ろうとし、簡単に解決できない難しい問いについて考え、そして必死に考えぬいたことを表現する。
 幸いなことに私の近くには、伝えるべき「ことば」を持つそんな表現者や書き手が何人もいます。そして、かれらのことばをしっかり受け止めてくれるであろう真摯な読者の顔が、心のなかにいくつも浮かびます。

 2018年は、広い意味でノンフィクションの編集に集中します。ルポルタージュ、ジャーナリズムから人文社会科学まで。テーマは〈越境とケア、誰かのとなりへの旅〉。そして10年ぶりに関東に戻ります。
 自分の人生がどこに向かっているのかさっぱりわかりませんが、すべての道はどこかに通じることでしょう。

 ここから、新しい道をあるきはじめます。

 

 

歴史に抗する野生の移民文学

 

『すばる』2010年11月に寄稿した書評(松井太郎著、西成彦細川周平編『うつろ舟 ブラジル日本人作家・松井太郎小説選』)を再掲載します。


1917年生まれ、日本語で書く現役最長老級の小説家による初の作品集だ。ただし著者は「日本」文学の伝統に属する人ではない。戦前にブラジルへ渡り、孤立する日本語の寄留地で文学的才能を開花させた。ブラジル移民は、すでに百年の歴史を経ている。日本文学では純文学からハードボイルドまで、しばしば格好の対象とされた当の移民社会でも、彼らの歴史とともに独自の日本語文芸が小さく生きのびてきた。言うまでもなく移民一世の日本語の書き手は、年々減少の傾向にある。歴史の暮れ方にある通称「コロニア文学」の主流が、郷愁のトーンを基調とする自分史的なリアリズムであることは想像に難くない。だが松井太郎は、そうした主流に収まることを禁欲する例外的なコロニア文学の作家だ。

表題作の長編「うつろ舟」は、ブラジル南部を流れる大河を背景に、妻との不和から家族や同胞社会との絆を断った元「日本人」の魂のさすらいを語る、骨太な貴種流離譚だ。「マリオ」という通り名で辺境の貧しい牧夫や漁師に身をやつす主人公「おれ」は、日系の青年農場主としての過去を封印し、むきだしの性と性が、噴き出す血と血が見境なくまじりあう奥地の「土俗」へ浸透しつつ、なお己の命運を冷めたまなざしで凝視する。フォークナーの「ヨクナパトーファ・サーガ」を彷彿させる圧倒的な語りの力によって、まさに「日本人が「日本人」でなくなる臨界点」(本書の帯より)を執拗に描き出す。

尾鋏鳥(おばさみどり)の渡り、旱(ひでり)と野火、その後の川の氾濫……。冒頭から続く辺境の地をめぐる自然描写と主人公の内省的独白の巧みな綾織りが、読者を引き込む。さすらいの旅の途上、「おれ」とイタリア系の老人との会話から戦後の時代とかすかに推測されるが、物語の時を刻むのはブラジル移民史でも主人公の個人史でもない。日が昇り、沈む。乾季の後に雨季が来る。永遠回帰する南米の野生の無時間のなかで、生きとし生けるすべてのものが、地上に確かな存在の痕跡を残すことなくやがて腐蝕してゆく。

死を語ること、「日本なるもの」の死を目撃し語り続ける不穏な執念が、松井文学を駆り立てる。それは、大文字の歴史の余白を埋める少数者(マイノリティ)の証言というよりは、歴史から消える陰惨な「定め」を歴史に安住するものに突きつけ、歴史そのものに抗する野生の移民文学たらんとする。「百年の孤独」を文字通り耐えぬいた異形の日本語文学の凄みが、語りの芯から迫り出してくる。

 

寡黙な「読者」忘れない

 

2016年12月24日付「毎日新聞」大阪版に寄稿したエッセイを再掲載します。 

 
さまざまな縁がつながって、私が瀬戸内の島に移住したのは、今から4年前のことだ。関東で編集者として仕事をしながら、出版業界が東京に一極集中して、地方の声を伝えられない現状に疑問を抱いていた。学生時代に人類学や民俗学を学び、文化の豊かさはその多様性によって担保されるという考えを持っていたので、業界の中心から遠く離れた地で文化を発信する仕事に取り組んでみたい、という思いに目覚めたのだ。

香川県の小豆島を拠点にして最初に出版したのが、黒島伝治の小説集「瀬戸内海のスケッチ」だった。黒島は、「二十四の瞳」の作家・壺井栄と同じ小豆島出身で、大正・昭和に活躍した知る人ぞ知るプロレタリア文学者。本書は、そんな作家が戦前の小豆島で貧しくとも懸命に生きる人々の姿を描いた作品群を中心に、10篇の短篇小説と随想をまとめたアンソロジーだ。作品のセレクトと解説は、京都の古書・善行堂の店主で文学エッセイストでもある山本善行さんにお願いした。かねてより交流のあった山本さんから、小豆島で本作りをするのなら、黒島伝治の小説を復刻してはどうか、と強く勧められていたのだ。

プロレタリア文学」などと聞くと、いかにも難解そうなイメージを抱かれるかもしれない。現代の読者に受け入れられるか不安だったが、杞憂に終わった。本書は、刊行後から文学ファンのあいだで好評を博し、新聞や雑誌などメディアでも紹介された。毎日新聞の読書面には、現代詩作家・荒川洋治さんの書評が大きく掲載された。「文章と構成の素晴らしさ。文学を知ることは、黒島伝治を知ることだ」。「瀬戸内海のスケッチ」でスタートした出版活動の船出を祝福してもらえたようで、ことのほか嬉しかった。

この書評が新聞に掲載された日、まっ先に山本善行さんに電話をかけた。山本さんは、荒川洋治さんの著作の熱心な読者でもあるから、「本当に光栄だなあ、ありがたい」と嬉しそうに繰り返していた。ところが山本さんは、私にこんなことも話してくれたのだった。

「でもね、マスコミの評判ばかりに目を向けてはいけない。本当に文学を愛する多くの読者は、都会ではない地方にひっそりと暮らしている、声をあげない人たちだと思う。まわりに文学を語り合う友がいない孤独の中で、小説を読み続ける人は必ずいる。そういう読者は、最後のページを閉じてネットに気の利いた感想のコメントを書き込むわけでもなく、『ああ、良かったな』と心の中で思うだけで本を棚にしまう。文学を目に見えないところで支えているのはこういう人たちなんだ。君は地方で出版活動をはじめたのだから、きっと身近にいる、寡黙な読者の存在を忘れてはいけないよ」

2015年に私はひとり出版社を卒業して、香川県の高松で発行するローカル雑誌「せとうち暮らし」の編集部ととともに、瀬戸内人という出版社を設立した。香川、徳島、愛媛、山口、広島、岡山、兵庫の「瀬戸内7県」をフィールドに、島々と沿岸の地に生きる人々のストーリーを、「せとうち暮らし」で伝えている。その編集にも関わりながら、文芸書や写真集、エッセイやノンフィクションの本を作っている。 

香川と兵庫を行き来しながら、今は瀬戸内を俯瞰する立場から仕事をしている。いついかなる場所で、どんな本や雑誌を作るときも、必ず思い出す。「寡黙な読者の存在を忘れてはいけないよ」。地方出版の編集者としての私がいつも立ち返る原点が、この山本善行さんの言葉だ。

 

 

瀬戸内海のスケッチ―黒島伝治作品集

瀬戸内海のスケッチ―黒島伝治作品集