ASANOT BLOG / 淺野卓夫の日誌

編集者。本、旅、考える時間。

温又柔の小説『真ん中の子どもたち』ほか

 

『たった一つの、私のものではない名前』

 

 いまから10年ほど前のことだ。あるブックフェアに出展者として参加した際、私と背中合わせのブースに座っていたのが、「葉っぱの坑夫」の大黒和恵さんだった。葉っぱの坑夫は非営利のウェブ・パブリッシャー。ウェブ上で小説、エッセイ、詩、翻訳作品を無料公開する活動をおこない、紙の本や電子書籍も発行している。

 エディターの大黒さんとは初対面だったが意気投合して、出版に関していろいろなことを教えてもらった。私が、ブラジル日系移民の世界でのフィールドワークという回り道をして、本をつくる仕事をはじめたことを話したからだろうか。「だったら、これ読んでみて」と大黒さんから手渡されたのが、『たった一つの、私のものではない名前 my dear country』と題された小さな冊子だった。

 http://happano.sub.jp/happano/zine/zine.html#zine3

 はじめて出会った書き手の名前は、温又柔。台北で生まれ、父の日本赴任に伴い幼少時から東京に住む、というプロフィールが巻末に記されていた。

 「温又柔」は中国語の発音でウェン・ヨウ・ロウと読むのだが、日本では、おんゆうじゅう、として育った。舌と耳で感じないわけにいかない響きのズレから、台湾生まれ・日本育ちという〈はざま〉を生きる存在の消息を見つめる、みずみずしい散文作品だった。彼女が自己省察の手がかりにする、パレスチナ系アメリカ人の批評家エドワード・サイードや、チカーナの詩人グロリア・アンサルドゥーアら、私自身多大な影響を受けた文学者の言葉にも目を引かれた。

 のちにこの書き手が文学賞を受賞し、小説家としてデビューしたことを知った。

 

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『真ん中の子どもたち』

 

 ここのところ続いた移動のあいだ、作家・温又柔の芥川賞候補作となった長編『真ん中の子どもたち』(集英社、2017)を読み継いできた。これから何度も読み返したい、味わい深い小説。心地よい読後感に浸っている。

 台湾人の母、日本人の父のもとに生まれ、東京で育った主人公・琴子(ミーミー)が、中国の上海に語学留学する。日本、台湾、中国のはざまで同じような境遇を生きる若者たちの人生が異郷で交差する。どの「普通」にも収まらない琴子ら「真ん中の子ども」たちは言葉に移住する。他人から矯正も否定もされない自分だけの言葉、自分たちだけの言葉へと。


 「アイノコって響き、愛の子どもみたいだなあって」

 ダジャレみたいな思いつきに、私の友だちふたりは一瞬ぽかんとしたが、ミーミーらしいよ、とすぐに玲玲が笑う。それならおれたちは愛の子やね、と言う舜哉の声も明るい。異郷の空の下、私たちはそれぞれとても上機嫌だった。

 混血児を意味するアイノコに、ドモ、の2音を添えればアイノコドモになる。そんな言葉遊び的な響きの発見から、上海で出会った「愛の子ども」たちの物語が動き出す。そして旅の日々が終わり、社会に出てそれぞれの道を歩む主人公たちの後日譚に、誰かと共に生きることのリアルと、言葉でつながることへの確かな希望が描かれている。


 読んでいてふと思ったのだが、アイノコに、トバ、という2音を添えれば、アイノコトバになる。「アイノコと場」「愛の言葉」をめぐる小説でもあるのだろうか、と思いを巡らせる。それはともかく、この作品は青春文学の傑作で、自分自身の言葉を見つけたいと模索する若い人たち、10代の中学生や高校生にもすすめたいと私は思った。 

 最新作『真ん中の子どもたち』からさかのぼって、白水Uブックス版の『来福の家』(白水社、2016)も読んだ。所収のデビュー作「好去好来歌」。こちらは、胸を締め付けられるような痛みを感じる小説だった。


 言葉から傷つけられ、言葉を傷つけることでできた引っ掻き傷の跡のような、無数の線が文章の皮膚に癒えきることなく残っている。「国語」に居場所を持てない若く小さな魂が、言葉を必死に生き抜いている。そして国籍、民族、性別。目の前で一方的に刻まれる境界線の手前でおののく繊細な主人公、楊縁珠が問いかけるものに目を見開いた。


 続けて表題作「来福の家」。デビュー作と比べて物語のトーンは柔らかなものになっているけど、テーマは変わらない。ここで、「真ん中の子ども」たちは日本で暮らすある台湾人姉妹だ。最後の場面、旅の人生の中で言葉をさまよい、言葉を生き抜くその先で、自分が自分であることを静かに肯定する彼女らの会話に、じんわりと込み上げるものを感じた。

 

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作家・李良枝のこと

 

 温又柔の一連の小説を読んで、作家・李良枝のことを強く思った。在日コリアン2世。代表作は「由煕」。「国語」に居場所を持てない小さな魂の物語を何度も何度も語り直さなければ、片時も生きられないような小説家だった。1992年に、若くして亡くなった。



 国語と国語、日本語と韓国語のはざまで、「言葉の杖」を求めること。李良枝にとって最も切実なテーマを受け継ごうとする意志が、台湾生まれ・〈日本語育ち〉の作家、温又柔の作品にあると思う。文学の魂は、一人作家の死によって終わることなくこうして継承され、変奏され、川の流れのように未来に向けて滔々と流れてゆく。

 ところで、山梨の私の母方の親族が作家の家族と浅からぬ縁があったので、李良枝には特別な思い入れがある。母はいつも「よしえちゃん」と言っていた。その度に私は、「ヤンジだよ。イ・ヤンジって名前を選んだんだよ」と知ったかぶりを返していた。決して読書家ではない母は亡くなる少し前に、「よしえちゃんの本を持ってきて」と私に頼んで、懐かしそうに全集のページをめくっていた。その時は私も、「ヤンジだよ」などと言い返したりはしなかった。

 李良枝の小説も、久しぶりに読み返してみたい。「自分は日本にも帰り、韓国にも帰る」という彼女が残した言葉を、思い出した。